死の陰の谷

・先般、旧約聖書の詩篇を読み直す機会を得ました。聖書の中でも全く趣の違うところで多くの方がこの詩篇の章句に慰めを見出し、また励ましを受けている箇所です。私自身いつも啓発を受け、慰めを受ける幸いなところが沢山あるのですが、その中で多くの方々をひきつけてやまない処が詩篇23篇です。私はそこを読みながら堀辰雄の小説を思い出していました。それは彼の出世作ともう言うべき「風立ちぬ」です。それはこの小説の最後の章にこの23篇の一句「死の陰の谷」と題する部分がでてくるからです。
・私は別段文学青年だったわけでもなく、人並みに芥川や漱石などの作品を読んでいた程度にすぎません。しかしなぜかこの堀辰雄の作品には惹かれるものを感じていました。それはこの作品が丁度私の生まれた年に書かれたということもあり妙な親近感を抱いたこともありますが、『風立ちぬいざ生きめやも』というタイトルに洒落た感じを受けたこともあったと思います。しかし、何といっても最後の部分に、私の愛唱する詩篇23篇の中の「死の陰の谷」という言葉が用いられ、その展開に気になる部分が多かったからだと思います。
・ここでいう「死の陰」とは、婚約者が結核を患い療養に専念せざるを得なかったことや、彼自身も若い時に同じ病を経験しており、当時死の病と言われていた結核という病の中で過ごす生活を念頭に置いての表現だったと思います。結局サナトリウムに移った婚約者もまもなく亡くなってしまい、死というものを身近に感じていたのだと思います。その後結婚した堀辰雄の夫人多恵さんは熱心なプロテスタントの信者でしたが、彼はその影響を多分に受けたとは思いますが、結局最後までキリスト教とは距離を置いたままでした。
・私が残念に思うことはせっかくここまで詩篇を読みながら、この「死の陰の谷を歩むとも」という言葉の後に続く「わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」という神の臨在を語る聖句を受け止められなかったことです。全能の神に自分の存在を委ね、導きを受けて日々歩むことができたなら、彼にもきっと違った人生の展開があったはずです。当時の日本は軍国主義の色彩を日々強め、もはや後戻りできない破局へと大きく舵取りをしていった時代です。そのような時に、彼は時代を超越したというか、時代とは無関係な作品を書いたということは驚くばかりです。それだけに、もう一歩踏み込んで、聖書の神に目を向けてほしかったなと思うのです。彼を敬愛し、熱烈に支持した福永武彦が晩年プロテスタントのキリスト教に帰依し、熱心な信仰をもって晩年を過ごしたことを思うと、彼にも「風立ちぬいざ生きめやも」の「いざ生きめやも」という決意にも思えるこのフレーズを積極的に追求してほしかったなと残念でたまらない気持ちです。

(S・M)

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