いのちより大切なもの

・新年のお慶びを申し上げます。新しい年を迎え、なぜか気持ちも変えられていくような新鮮な感覚にとらわれます。暦が変わるということは人間の知恵なのかもしれません。私は今年の年頭に当たり、先般出会った星野富弘さんの詩の言葉に捉えられて今考えさせられているところです。鋭く私に迫り、訴えかけてくる彼の詩句に簡単には応じられない自分が居て、これを今年の一年の課題にしなければならないのかと考えています。

・その詩は次のようなものです。 

 “いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。

  いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった“

 詩人は、「いのちより大切なものは何か」という質問には結局答えていません。それは状況によって異なることがあるからかもしれませんし、一生探し続けても死を迎える前日にようやく自分なりの答えが見つかるかもしれない。肝心なのは自分で見つけるということです、と記しているだけです。

・しかし、やはり我々にとって人の命、人格、人権は何物にも代えがたい大切なものであることには変わりはありません。人の命を大切にしない風潮が、他者を安易に踏みにじり、人間の尊厳を自ら貶めているのです。経済優先、物質尊重が文明国家の姿でしたが、そこからは人間の至高の姿は見えてきません。キリストは、人の命は全世界の何物にも代えがたい尊いものであると語っています。その尊い人の命を無視するから、世界の秩序が大きく乱れてきているのです。やはり人の命が一番大切だと言いたいのです。

・しかし、この詩人は、それを否定はしませんが、それよりも大切なものがあると言うのです。その命を「自分の命」とするならば、自分の命を捨てても「他者の命」を守るということがあることは当然考えられます。何物にも代えがたい一つの命を救うために自分の命を犠牲にするということはしばしば見聞きしてきたところです。しかし、この詩人が述べているのはそれとは違う別次元のことのように思えます。何か形而上学的な話になりそうですが、キリストの説く全世界の何物にも代え難い尊い命を持つ人間らしい生き方をするために、しばし時間をかけて考えていきたいと思います。(S,M)

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