『神の選び』
はじめに
本日の聖書箇所から、神の選びについてみてまいります。
Ⅰ.人の理解を超えた神の選び
パウロは、神によって特別に選ばれたイスラエル民族が、救い主を退けていることについて語っています。そのことは、神の選びの約束が無効になったわけではないとも述べます。神がイスラエルを神の民として選ばれたのは、その民だけでなく、霊的な民、すなわち主を信じる全ての者をご自身の民として選ぶためだったのです。
パウロは、それを「イスラエルから出た者がみな、イスラエルではないからです。」と、イサクとイシュマエル、ヤコブとエサウのことを例に出して示しています。それぞれ、選ばれたのはイサクとヤコブでした。神の選びは、人には計り知れないことで、人の側に何かの原因があるからではありません。ただ、神の一方的な恵みによるのです(エペソ1:3-5)。主イエスの十字架の贖いによって、私たちは霊的な神の民とされたことを感謝し、主の御名をほめたたえましょう。
Ⅱ.主はだれにでも救いを与えておられる
パウロは次に、神の選びによるというのなら、神は不公平なお方ではないかという問いに答えます。まず、神は決して不公平なお方ではありません。そして、公平か否かということではなく、選ばれた者がいかに神に感謝するかどうかということを述べます。
すべての人間は、罪によって滅びるべき存在でした(ローマ3:23)。その様な罪人を、御子イエスの十字架による救いによって、神は救ってくださったのです。主イエスを救い主として信じる者は、誰でも救われるという救いの道が備えられています。誰にでも、公平に与えられている主の救いを受け入れましょう。
Ⅲ.神のみ心のままに選ばれた者として
パウロは、神と私たち人間との関係を陶器師と陶器にたとえています。人が、人を造られた神に対して、「どうして私をこのように造ったのか」と言うべきではないこと。むしろ、神の創造のみ業の中に、深いご計画があると信じ、神のあわれみに感謝して、選んでくださった神の栄光を現して行くべきであると教えています。
御子イエスの十字架の贖いによって、神はクリスチャンたちを神の民、神の働き人として選んでくださったのです(ヨハネ15:16)。神はみ心のままに、神の民をその時代、場所に置いて生きるようにされています。それは、私たちクリスチャンの歩みの中に共におられて、練達したキリストの証し人として整えてくださるためです。神の民として選ばれた私たちは、素晴らしい主の救いの恵みを宣べ伝えて行きましょう。
おわりに
私たちは、神によって選ばれた者たちです。私たちを選んでくださった神は、大きなみ手をもって私たちを導いておられます。これにまさる平安はありません。この素晴らしい神のみ手の中にあることを覚えて、この救い主を伝えて行きましょう。

