『この戦いは、主の戦い』
はじめに
本日は、真実な神は、私たちに救いと勝利を約束して下さっているお方であることをみます。
Ⅰ.神のみ言葉に聞く
ペリシテがイスラエルを攻めた時、ペリシテは一人の巨人ゴリヤテを立てて、イスラエル軍に一騎打ちを申し出ます。この敵の言葉は、巨人ゴリヤテの巨体と身に着けた非常に大きな武器を見せつけて、脅し文句を言うことで、イスラエルに恐れを抱かせ、戦意を挫くことでした。
この時、サウル王は主に背いたことで、主の霊が彼から去っていました(Ⅰサムエル16:14)。それで、彼は神のみ言葉に立ち、主に信頼しきることができなくなっていて、敵であるペリシテに対抗できなかったと考えられます。神が共におられるなら、そして神のみ言葉の真実さに信頼するなら、たとえ敵がどのような巨人であっても、また惑わしの言葉で脅かされることがあっても恐れることはないのです。私たちは、いつも神のみ言葉に聞き、神に従って歩みましょう。
Ⅱ.ダビデが見ていたもの
ダビデの父親は、王の隊に所属する三人の息子たちの安否を気遣って末のダビデを戦場に遣わしました。この時、ダビデはゴリヤテがイスラエルの軍を嘲っていることを聞いたのです。
ダビデはこれを聞いて、信仰の目と耳をもってこれを見て、勝利を確信していたのです。彼が見ていたことは、敵が「イスラエルの戦陣の神をそしった」ことで、この戦いが主の戦いであること。「この無割礼のペリシテ人」といって、自分たちが神の契約の民であるということ。そして、「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主」と言って、これまでの神の恵みと導きを覚えて、神のみ手があるということを確信していたのです。今の私たちは、主イエスの十字架の贖いによる救いを通して、神の愛、約束、そして神の御業の真実を見させていただいています(ローマ8:32)。主と共に歩む幸いを覚えて、主の御名をほめたたえましょう。
Ⅲ.私たちを養い育まれる神
ダビデは、イスラエル軍の前で、主が勝利を与えられることを宣言しました(Ⅰサムエル17:26)。そして、神はダビデの石投げと石一つで、彼に勝利を与えてくださいました。
ダビデの信仰の言葉は、一朝一夕になされたものではありませんでした。その背後には、人の目には見えない、羊飼いという生活の場があり、そこでの神との交わりの生活があったのです。すなわち、羊飼いの生活はのどかで平和なことばかりではなく、獅子や熊が襲って来る危険もあったのです。そんな中で、ダビデは生ける神により頼んで歩む神の訓練があったのです。私たちの生活も、野に追いやられていたダビデのように、誰からも注目されず、特別なことなどない生活かもしれません。しかし、実はそここそが、私たちにとっての大切な信仰の訓練の場であり、また成長の場でもあるということを覚えましょう。主イエスの救いを頂いた私たちは、神の子とされたのです。父が訓練しない子はいません。なぜなら、神は、私たちを愛する子として扱っておられるのですから(へブル12:5-9)。
おわりに
ダビデの信仰による勝利宣言は、突然湧きおこったものではなく、羊飼いという毎日の生活の中で、神に育まれていったものでした。主イエスによる十字架の贖い以来、私たちの内には聖霊が居られ、近くにあるみ言葉によって導かれています。日々、神の愛を覚え、救いの約束を固く信じて歩み続けましょう。

