『世の光として輝く』
はじめに
本日は、キリストという光を受けた私たちキリスト者の幸いについて見ます。
Ⅰ.恐れおののいて救いの達成に努める
パウロは教会が建て上げられ、成長して行くために、主イエスに倣い、主にある一致を保つようにと命じます。そのために、聖徒たちに「いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい」(ピリピ2:12)と励まします。
教会は、主イエスの十字架の贖いによって罪赦され、神の子とされ、永遠の命を約束された者たちの群れです。同じ主の救いを頂いた者同士、主の教えを喜び、主に導かれながら、主の恵みに応えて日々「互いに愛し合いながら」(ヨハネ13:34)歩み続けましょう。それによって、私たちはキリストに似る者として成長させて頂けるのです。
Ⅱ.主は志を立てさせ、事を行わせてくださる
ピリピの教会の中には、お互いに対する疑いや言い争いがあり、それが教会の一致を妨げていたのです(ピリピ2:14)。パウロは、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)と教えています。
聖霊は、主を信じる全てのクリスチャンの内に居られます(Ⅰコリント12:3)。そして、私たちを通し、私たちを用いて働かれます。同じ一つの御霊を頂いた私たちクリスチャンの内に、神の御心が行われているなら、「つぶやき」や「疑い」はないのです。私たちは、常に御言葉を味わい、聖霊の導きを求め続け、「福音にふさわしく生活」する者とさせて頂きましょう。
Ⅲ.世の光として輝くために
パウロは、御言葉に聞き従う時、「あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなる」と教えています。さらに、「いのちのことばをしっかり握って」生きるなら、人々の間で「世の光として輝く」と語ります(ピリピ2:15-16)。
主の十字架によって神の愛を知った私たちは、その神の愛に応えて、御言葉に聞き従って生きる者とされたのです。「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思って」生きる者とされたことも、天の御国を目指して歩む者とされたことも「世の光」であることのしるしです。私たちが神の子としての生きる時、暗く曲がった時代の中で、人々を照らす光、希望の光となるのです。どんなに小さな光でも、闇に打ち勝つように、神の教会は世にキリストの光を輝かせているのです。神の命の御言葉を「しっかりと握って」、内に住まわれる聖霊によって、つぶやかず疑わずに、神の御心を祈り、求めて歩み続けましょう。
結 び
パウロがピリピ教会に対して願っていたことは、曲がった邪悪な世の中にあって、傷のない神の子どもとなり、世の光として輝くことでした。これは、今日の私たちも同じです。今こそ、私たちは御言葉をしっかりと握り、主と共に歩み、神の光を輝かせるものとさせて頂きましょう。