『主に身を避ける者の幸い』
はじめに
アドベント第一週の本日は、ダビデが逃亡生活の中で体験した、主に拠り頼むことの幸いについて見てまいります。
Ⅰ.ノブの祭司アヒメレクのところに逃れたダビデ
ダビデは、ヨナタンと別れた後、サウル王を恐れてノブの祭司アヒメレクのところに逃げて行きました。そこで、ダビデはアヒメレクに食べ物を求めます。アヒメレクは、祭司以外は食べてはならない、聖別されたパン(臨在のパン)を与えたのです(Ⅰサムエル21:3-6)。
主イエスは後に、祭司アヒメレクが、律法よりもあわれみを重視したこの出来事を取り上げて、神が喜びとするのは真実の愛であり、いけにえではないと教えられました(マタイ12:3-8)。私たちは神の戒めの根底にある神の愛と憐れみを知って、神の御心に歩ませて頂きましょう。
Ⅱ.人の弱さをご存じの神
ダビデは、祭司エヒメレクからパンを得ると、次に武器を求めて剣を得ます(Ⅰサムエル21:8-9)。彼は、石投げ一つで巨人ゴリヤテを倒すほどに神に信頼する者でしたが、この時は自分の考えで、自分を守るものを得たとも考えられます。
ダビデは、その生涯において、時に弱さをさらけ出しつつ、神に信頼しながら信仰の苦闘を経験しました(詩篇56篇)。私たちは、ダビデの様々な弱さにもかかわらず、神が彼を、人間的にはどうすることもできない苦境の中で、守り導いてくださったことを知ることができます。主イエスは、私たちの罪や弱さの全てを知って、十字架にかかって身代わりとなって下さいました。キリストの大きな愛の御手にあるからこそ、私たちは「弱いときにこそ強い」と言えるのです(Ⅱコリント12:10)。
Ⅲ.主に身を避ける幸い
ダビデは、イスラエルに居ることができずに、ペリシテの領地にあるガテの王アキシュのところに逃げました。しかし、彼は素性を知られてしまい、捕らえられて気が変になったふりをして逃れます(Ⅰサムエル21:10-15)。ダビデは自分の国はもちろん、自分の国の敵国にさえも居場所を失ってしまったのです。
この様な苦難の中にあっても、ダビデは「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。」(詩篇34:1)と主をほめたたえ、主に身を避ける者の幸いを賛美しました。彼は苦難や困難の中にあるからこそ、主に信頼し、信仰に堅く立ったのです。「私たちの大祭司(主イエス)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15-16)
結 び
ダビデは、命の危険が迫ってくる逃亡生活の中で、神の赦しとその導きが共にあることを教えられて行きました。主イエスによる救いを頂いた私たちも、信仰生活の歩む中で、主の御手と助けがあることを覚えましょう。主は愛する者を、神の民として整えて成長させてくださるのですから(ヘブル12:6-8)。