『ヨナと唐胡麻』
はじめに
本日は、ヨナ書の最後の章から、神の御心を真に知ることの幸いを見てまいります。
Ⅰ.ニネベの救いを見て怒ったヨナ
ヨナの宣教によって、ニネベは神の前に悔い改めました(ヨナ3:10)。しかし、ヨナは、神が敵国へのさばきを止めたことで非常に不愉快になって怒り、主に抗議さえしたのです(ヨナ4:1-3)。
ヨナ自身は、大魚の中で神の憐れみを知ったはずですが(ヨナ2章)、ニネベについては、神の御心を受け入れることができませんでした。父なる神の願いは、「すべての人が救われて、真理を知るようになること」です(Ⅰテモテ2:4)。私たちは、御子イエス・キリストによる救いを頂き、主を知って主と共に歩む者とされました。神の救いの恵みを感謝し、神の心を自分の心として、隣人の救いのために、主を証しし、執り成しの祈りを捧げ続けましょう。
Ⅱ.具体的出来事を通して神の御心を教える
神は、怒り訴えるヨナに対して、具体的出来事を通して神の御心を教えられます。ニネベを見張るヨナに、神は日除けのために一本の唐胡麻を備えます。ヨナは、これを非常に喜びました。しかし、翌日には、神はこの唐胡麻を枯らし、焼け付くような東風さえ起こして、彼を再び暑い日差しの中に置いたのです(ヨナ4:5-8)。
神は、唐胡麻のことで怒るヨナに語りかけます。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか」(ヨナ4:10-11)。神はヨナを取り扱われたように、私たちをも様々なことを通して取り扱い、その御心を教えてくださるのです。
Ⅲ.神の救いを頂き、主イエスを宣べ伝える
ヨナ書は、「わたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。・・・」(ヨナ4:11)という御言葉で終わります。この後について、聖書は沈黙していますが、ヨナ自身がこの主の言葉に深く心を揺り動かされたことは間違いないでしょう。この神の語りかけは、私たちに対するものでもあります。
神は、すべての人を愛しておられ、一人も滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを心から求めておられます。救いを頂いた私たちは、この神の願いを心に刻み、主と心をひとつにして、主と共に歩み、主の業に励むものとさせて頂きましょう。時が良くても悪くても、主イエスを宣べ伝え、証しして行きましょう(Ⅱテモテ4:2)。
結 び
ヨナも私たちも、一度は罪に死んだ者でした。しかし、神のあわれみによって生かされていることを覚えて、主に感謝しましょう。そして、主イエスの十字架の救いに与った者として、主の御心を自分の心として、右も左も知らずに闇の中をさ迷っている人々のために福音を宣べ伝えて行きましょう。