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『魂の安らぎを与える神』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マタイ11:25-30

はじめに

本日の聖書箇所から、真の安らぎを与える主を見てまいります。

Ⅰ.主こそが人を救うお方

主イエスの御言葉を聞いたガリラヤ地方の多くの人々は、主を救い主としては受け入れませんでした(マタイ11:20-24)。それを知った主は、この世の知恵や賢さによって神を知るのではなく、「幼子たちに現してくださった」父なる神をほめたたえました(マタイ11:25-26)。

人が主イエスを救い主として受け入れるのは、この世の知恵や賢さによるのではありません。「この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」(Ⅰコリント1:21)世には愚かに見える主イエスの十字架とその御言葉こそが、人を救うのです。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(Ⅰコリント1:25)からです。十字架の言葉は、救われる私たちには神の力です。主の救いを、どんな時にも宣べ伝えましょう。

Ⅱ.全ての聖徒に委ねられた福音宣教

父なる神が、「幼子たちに現し」た「これらのこと」とは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)という主イエスの救いへの招きのメッセージです。主はこの福音を宣べ伝えることについて、父なる神から全権を委ねられたのです(マタイ11:27)。

福音を伝える神の使命は、全てのクリスチャンにも委ねられているものです。福音は、宣べ伝えられなければ、だれもそれを聞くことはできません。ですから、聖書は「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」(ローマ10:15)と言っています。先に主イエスの救いを頂いた私たちは、それぞれに主イエスの福音を宣べ伝えるべき隣人がいます。これらの人々に、機会ある毎に主イエスの良き訪れを、言葉と行いによって伝え続けましょう。

Ⅲ.主が与える安らぎ

主イエスは、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と、人を招いておられます。主が与えてくださる真の安らぎは、この世のものとは違う、どんなことによっても消えてしまうことのない平安です(ヨハネ14:27)。

人は、その罪による神との隔ての壁が取り除かれなければ、命の神との本来の関係に生きることができないばかりか、担いきれない重荷に押し潰されているのです。主は、罪という隔ての壁を、十字架の贖いによって打ち砕いて下さいました(エペソ2:14)。主の十字架は、私たちに神との豊かな命に生きる幸いと、神と共に歩む(キリストのくびきを負うこと)安らぎを与えてくださいました。主イエスのくびきを負うことは、自由が奪われることではなく、永遠の命へと導いてくださる主との歩みとなります。また、主が与える重荷は、主ご自身が負ってくださるもので、後に確かな報いと大いなる喜びが伴うのです。主イエスの招きに応えて、主のもとに来て、大いなる平安と安らぎを頂きましょう。

結 び

主イエスは、真の命と神が与える使命に生きる幸いを与えようと招いてくださっています(マタイ11:28-30)。主のもとに来るとき、真の安らぎが与えられるとの約束を信じて、主の招きに応え、主を心に迎え入れましょう。

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