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『主に用いられる器』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ルカ6:1-11

はじめに

本日は、安息日と安息日の主について見てまいります。

Ⅰ.主はいけにえではなくあわれみを好まれる

ある安息日、パリサイ人たちは、主の弟子たちが麦畑で穂を摘んで食べていることを咎めました。咎められたことは、他者の麦畑で穂を積んだことではなく(申命記23:25)、安息日に仕事をしたことでした。主イエスは、これに対して、かつてダビデとその共の者たちが祭司以外は食べてはならない「臨在のパン」を食べたことについて語ります(ルカ6:3-4、Ⅰサムエル21章、22:10)。これは、律法違反をしたのではなく、供えのパンを食べて力づけられ、命を救われるということを神が許されたことを示しています。

律法を守るのは、神がどの様なお方かを知るためです。私たちの必要を真にご存じの主は、いけにえではなく、私たちへのあわれみをのぞまれるのです(マタイ9:13)。主は、私たちが神の恵みに生きて幸いを受けるために、戒めを与えられたことを覚えましょう(ヨハネ13:34)。

Ⅱ.主の御心を行うための安息日

「神の民」とされたイスラエルは、律法を与えられ、神を礼拝し神に仕え、他の民への祝福の基とされました。主イエスは、そのことを示すために、安息日に律法にかなっているのは、「善を行うこと」であり、「いのちを救うこと」であることを示され、会堂にいた右手の萎えた人を癒されます(ルカ6:6-10)。

パリサイ人たちは、安息日の本質を見失って、「働いてはいけない日」として人を戒めによって縛り付けていました。しかし、主イエスはその戒めによって、神の御心である善を行い、命を救うということを示されました。新約時代に生かされている私たちは、週の初めの日に主を礼拝します。主を礼拝して、主との豊かな交わりに生かされて、その恵みを持って各々が遣わされている場所で、主の恵みを証しする者とされていることを覚えましょう(マタイ5:13-14)。

Ⅲ.愛は律法を全うする

主イエスは、「人の子は安息日の主です」と語られました。主が真の「安息日」を行う者であるということを示されたのです。主イエスの十字架の救いを頂いた私たちも、神の御心である神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶ幸いを、世に証ししてまいりましょう。

安息日の真の意味を受け入れることのできなかったパリサイ人たちは、自分たちの信仰観に固執し、主イエスに対して怒りに満ち、なき者にしようと話し合いを始めたのです(ルカ6:11)。パリサイ人たちのように、「してはいけないこと」を列挙して、それを守ることが信仰であると勘違いしてはなりません。むしろ、父なる神が、御子イエスの十字架の贖いによって示し与えてくださった愛を覚えて、神の愛に応えることです。「愛は律法を全うする」(ローマ13:10)のです。「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、主を愛し」、また私たちの「隣人を自分自身のように愛」して(ルカ10:27)、主の戒めを行うものとさせて頂きましょう。

結 び

主イエスは、律法にある安息日の本質を教え、示されました。それは、パリサイ人たちが理解していた、行動を禁じる消極的なものではなく、神の愛と憐れみを実践して行く積極的なものです。神に愛されていることを知って神を愛し、神から頂いた愛をもって隣人を愛し、互いに神の善を行いましょう。安息日の主イエスと共に、喜んで生きる歩みを続けてまいりましょう。

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