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『主なる神のあわれみ』

説教:髙橋正人師

はじめに

本日は、悔い改める者に与えられる主の恵みとあわれみについて見てまいります。

Ⅰ.主の御心を知る幸い

サムエル記の最後に、「再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった」と記されています(Ⅱサムエル24:1)。ダビデ王が、イスラエルとユダの人口を数えたからでした。主が怒られたのは、人口調査ではなく、神よりも自分の力や国力に頼ろうとした動機でした(Ⅱサムエル24:3)。

私たちは、自分で考えて、これが主の御心であると思い込んでしまうことがあります。しかし、実はそれは主が喜ばれないばかりか、罪であることにさえ気づかないことがあります。常に、御言葉と御言葉の解き明かし、そして聖霊の導きを求めて主の御心を教えて頂かなければなりません。主の前に謙虚になって、御言葉が、聖霊が私たちに語りかけておられる主の「かすかな細い声」に耳を傾けましょう。

Ⅱ.砕かれた、悔いた心

ダビデは、民を数えた後で「良心のとがめ」を感じます。そして、すぐに主に「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。」と罪を告白し、悔い改めます(Ⅱサムエル24:10)。

ダビデの信仰の優れているところは、自分の罪に気がついた時、すぐに罪を悔い改めることでした。主なる神が求められるのは、「砕かれた霊。砕かれた、悔いた心」です。そして、主はそのような者をさげすむことなく、恵みといつくしみをもって赦し、顧みて下さるのです(詩篇51:17-18)。主イエスの十字架の救いを頂いた私たちは、主の前にいつもへりくだり、主の招きに従ってまいりましょう。そこにこそ、主の豊かな恵みとあわれみがあるのです。

Ⅲ.神の懲らしめに表される神の愛とあわれみ

主はダビデの祈りに応えて、預言者ガドを遣わし、さばきを選ぶように告げられます。ダビデは、神のさばきにおいても、そこにあわれみがあることを信じて、人の手に陥ることよりも、主の手に陥ることを願いました(Ⅱサムエル24:12-14)。主のさばきがくだって、それがさらにエルサレムに及ぼうとしたとき、主はわざわいを下す御使に命じて手を引かせました(Ⅱサムエル24:16)。

ダビデは、このことをエブス人アラウナの打ち場で体験し、主の命じられる方法で祭壇を築きます(Ⅱサムエル24:18)。「アラウナの打ち場」は、モリヤの山のことであり(創世記22:2)、ソロモン王がエルサレムの神殿を立てる場所(Ⅱ歴代誌3:1)、そして主イエスが十字架につけられた所となります。神の懲らしめには、神の愛とあわれみがあることを示しています。日々、主の十字架の贖いを感謝し、主と共に歩む幸いを感謝しましょう。

結 び

ダビデ王は、私たちと同じ罪人でしたが、示された罪を直ちに悔い改める人でした。神は、彼が罪を悔い改めた場所に神殿を建て、後には、御子イエスによって救いを完成する場所として下さいました。主の十字架は、私たちの罪や咎を示すと同時に、神の愛と赦し、あわれみを示しています。主の十字架の贖いを頂いた者として、主に感謝し、主を仰ぎ望みながら歩み続けましょう。

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