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『神に遣わされた者』

説教:髙橋正人師

はじめに

神召聖会Ⅱは、イザヤの召命から、私たちも主によってそれぞれの所に遣わされていることをもう一度見てまいります。

Ⅰ.神の聖さに触れられて

イザヤが預言者として神に召されたのは、ユダのウジヤ王が死んだ年で、神は彼に「高くあげられた王座に座しておられる主」の幻を見せました(イザヤ6:1)。ウジヤ王はその善政ゆえに、歴代の王の中で最長の52年間在位したのでした(Ⅱ歴代誌26:3-15)。

イザヤは、圧倒的な主の聖さに触れたことで、自分の罪を示され、また真に頼るべきはウジヤ王に代表されるような人ではなく、主なる神であるということに改めて気づかされたのです。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、罪赦され、神の子とされました。子であるがゆえに、私たちは神を「アバ、父」と呼ぶことを許されているのですから、神に拠り頼み、豊かな交わりに生きようではありませんか。

Ⅱ.神のために遣わされる者

イザヤは、神の一方的なあわれみによって、汚れをきよめられる体験をしました(イザヤ6:7)。それと同時に、彼は「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」という主の語りかけに、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と応答しました(イザヤ6:8)。これは、彼にとって、罪を赦されて、新しく神に仕えて生きることの始まりを意味することでした(ローマ6:11-13)。

私たちは、御子イエスの十字架の贖いという偉大な恵みによって、罪を赦され、キリストの新しい命に生かされ者とされたのです。そして、主に与えられた新しい命に生きることよって、今置かれている所でキリストの証し人として遣わされていることを覚えましょう。

Ⅲ.時が良くても悪くても御言葉を伝える

神はイザヤに、民に御言葉を語ることを命じます。それは、神の言葉を聞いた人々が心を頑なにして、悟ったりいやされることがないために語れというものでした(イザヤ6:9-10)。これは、神が全てのイスラエルの民へのさばきを宣言すると同時に、人々にまだ悔い改めの機会を与えておられるということを示すものです。神は、最後まで民が神のもとに立ち帰るのを待っておられるからです(Ⅰテモテ2:4)。

主イエスの救いを頂いた私たちは、神の「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため」という御心を自分の心として、時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝える使命を与えられています(Ⅱテモテ4:2)。主の恵みに生きることの幸いを知るほどに、主イエスを宣べ伝えずにはいられなくなるのです。御言葉と聖霊の導きを求めて、より深く主を知る者とされ続けましょう。

結 び

罪赦されたイザヤは、次に神の言葉を伝える者として召し出されました。私たちは主イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦され、内に与えられた聖霊によって、キリストの証人とされました。主によって、「世界の光」、「地の塩」とされた者として、さらにキリストを証しする者とされましょう。

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