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『病と痛みを担われる王』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 イザヤ52:13-1553:1-5

はじめに

本日の聖書箇所から、救い主イエスの姿をみてまいります。

Ⅰ.高く上げられたお方

イスラエルの民は、「自分たちの神が王となる」という知らせを聞いて喜び勇みます(イザヤ52:7)。この預言は、バビロン捕囚からの解放だけではなく、後の全ての人の罪からの救いを示すものでした。

聖書は、救い主の姿を見たものは誰でも、とても王とは思えない、見るも無残な姿に驚くと語ります(イザヤ52:14-15)。この預言が示す救い主が着座される王座とは、救い主の苦難を示すものでした。主イエスは、全ての人の罪を負って、十字架による救いという王座に着かれたのです。主の十字架の贖いは、主を信じる全ての者に罪の赦しを与え、神の王国の民となる特権を与えました。私たちは、王の王、主の主であるイエス・キリストを心に迎え入れ、神の民として歩ませて頂きましょう。

Ⅱ.私たちの病を負い、痛みを担われたお方

王として来られる救い主の姿は、渇いた砂漠のような人の世に生れ、王子どころか人々からさげすまれ、のけ者にされるというものでした。しかし、そのような中でも、救い主は神の前に真っ直ぐに若枝のように育つのです(イザヤ53:2-3)。そして、最後は人々から軽蔑され、見捨てられ、十字架の上で死なれたのです。

神の御子が私たちと同じくなられて、全ての人の病や痛み、悲しみをその身に負われて十字架で苦しまれました。私たちの弱さを十分ご存知の主は、私たちが「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づく」(ヘブル4:15-16)ことを許してくださっているのです。主イエスの御名によって、「アバ。父よ。」と語りかけ、祈る幸いを頂いていることを感謝し、いよいよ主に近づこうではありませんか。

Ⅲ.主の使命に生きる幸い

預言者イザヤは、イスラエルの民の救いと同時に、全人類の究極的な救いについて語り続けます。救い主また王と呼ばれる方が打たれ苦しめられたのは、私たちの罪のためであり、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)と教えています。

このお方とは、神の御子イエス・キリストです。主イエスの十字架の贖いによって、主を信じる者は罪を赦されて神の子とされ、永遠の命を頂くことができるのです。主イエスの十字架の贖いなしに、真の救いはないのです(使徒4:12)。キリストの十字架のもとにこそ、真の赦しと平安があることを覚えましょう。また、すべてのクリスチャンに与えられている主からの使命に生きる喜びを感謝して、主と共に歩み続け、福音を宣べ伝えて行こうではありませんか。

結 び

救い主は、全ての人の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。その姿は愚かであり、つまずきとさえ見えます(Ⅰコリント1:23)。しかし、主イエスを信じる者にとっては、神の力、神の知恵であることを覚えて、ますます主の御言葉と御霊に導かれてまいりましょう。

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