『神は顧みてくださった』
はじめに
本日は、主イエスが私たち人間の究極的な死に打ち勝たれているお方であることを見ます。
Ⅰ.主は私たちを知っておられる
主イエスがナインの町に入ろうとした時、やもめのひとり息子を葬るための葬列に出会いました。その母親を見た主は「かわいそうに思われました」(ルカ7:13)。それは、人が通常抱くものとは全く異なり、はらわたのよじれるような主だけが思われる憐れみでした(ルカ10:33、15:20)。
主イエスは、人と同じくなられ、死に代表されるような人間の絶望をさえご存じのお方です。「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル2:18)。全てをご存じである主に、拠り頼む幸いを覚えましょう。
Ⅱ.主イエスは、「泣かなくてもよい」と告げられる
主イエスは、このやもめに「泣かなくてもよい」と告げられました(ルカ7:13)。この主の言葉は、諦めて現実を受け入れ、泣くのを止めて日常生活に戻りなさいというものではありません。人の究極的な恐れである「死」にさえ、勝利している方がいることを示されたのです。これは、主イエスだけが命じることの出来る力ある宣言でした。そのしるしに、主は死んだ青年を起き上がらせ、彼を母親に返されました(ルカ7:15)。
主は、やがて主を信じる全ての者を「起き上がらせて」くださいます。そのために、主は十字架の贖いのみ業を成し遂げてくださいました。主の十字架に、父なる神の私たちへの愛が表されました(ヨハネ3:16)。また、父なる神は、主イエスをよみがえらせたと同じように、主イエスを信じる者を終わりの日によみがえらせてくださいます。復活の希望を持って、主と歩み続けましょう(ヨハネ5:28-29)。
Ⅲ.主は私たちを顧みてくださる
人々は主イエスが青年をよみがえらされたことを見て恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がその民を顧みてくださった」などと言って、神をあがめました(ルカ7:16)。
人々のこの驚きの声は、神がご自分の民を訪れてくださり、主の恵みのみ心が示されたことを誉めたたえてのことでした。主の恵みのみ心とは、死の力に支配され、絶望して泣いている人々を深く憐れみ、究極的な罪と死からの救いをあたえることです。
キリスト者の歩みは、死の力が支配する死者の国に向かってのものではありません。主イエスを復活させ、新しい永遠の命を与えてくださる父なる神の恵みの支配のもとへと向かう歩みです。主は、御言葉と御霊によって私たちを永遠の命に満ちた御国へと導いてくださることを覚えましょう。
結 び
主イエスは、ナインのやもめのひとり息子をよみがえらせました。これによって、主の私たちに対する憐れみとみ救いを示してくださいました。私たちは、究極的な恐れである死の支配から解放されたことを覚え、救いを頂き永遠の命に生きる者とされたことに相応しく主と共に歩み続けましょう。

