『我らの光、キリスト』
はじめに
本日の聖書箇所から、主イエスが、あかりのたとえをもって、人々が求めた「しるし」について明らかにされていることを見てまいります。
1.主イエス御自身が救いのしるし
主イエスは、増え続ける群衆を見て、「この時代は悪い時代です」(ルカ11:29)と語られました。人々が主イエスが救い主(メシヤ)であることの「しるしを求めている」という理由で、「悪い」と語られたのです。ユダヤ人は、自分たちの伝統や先入観によって、自分たちの描いた「メシア観」に固執し、主イエスを悪霊のかしらというほどに、歪めていたのです(ルカ11:15-16)。
主がメシアであることの「しるし」は、実は、すでに示されていました(ルカ7:22)。しかし、人々は「神のしるし」よりも、自分たちの伝統や経験による偏見を絶対的なものとして、延々と「しるし」を求め続けたのです。このことを主は「悪い時代」、すなわち、「今の時代の者たちはよこしまだ」と言われたのです。
「今の時代」とは、私たちのことでもあります。人には、罪のために、主イエスの救いや恵みがすでに与えられ示されているにもかかわらず、主の救いを受け入れない頑なさがあります。しかし、ヨナがニネベの人々に対して、また、ソロモン王が南の女王に対して「しるし」となったように、主イエスご自身が、今の時代の私たちに対する「しるし」となってくだいました。主の御言葉によって、主を受け入れ、信じましょう。
2.健全な目で主イエスを見る
主イエスは、御自身こそが救い主の「しるし」であることを、あかりのたとえをもって教えます。すなわち、あかりが暗闇を照らすように、主イエスは人々の救いの「あかり」です(ヨハネ8:12)。あかりが目から入ってくるように、主イエスという光が私たちの中に入ってこられ、私たち自身を光り輝く者としてくださいます。この「あかり」を認識する目によって、すなわち、主の御言葉を素直に聞くか否かで、私たちの輝き方が変わるのです(ルカ11:34)。ユダヤ人の聖書学者たちは、心におおいが掛かっていたため、主が聖書で示しておられる真意を理解することができませんでした(Ⅱコリント3:15)。
私たちは、この世で主と共に歩んでいます。私たちは非常識であってはなりませんが、常識や現実的考えをあまりにも優先させて主と共に歩むなら、主を見あげる目を悪くし、御言葉を素直に聞けなくしてしまうでしょう。主イエスというあかりは、今に至るまで変わらず輝き続けています。私たちの「うちの光が、暗やみにならないように気をつけ」(ルカ11:35)、霊的に健康な目をもって主の御言葉に聞いて行きましょう。
3.心の目を開いてくださる聖霊
「あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます」(ルカ11:36)と言わた主は、私たちの命の光として、私たちの内に来て住んでくださいました。主イエスの十字架によって、健康な目で、御言葉に聞いて従う幸いを頂いたことを感謝いたしましょう。
復活された主は、弟子たちに「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」(ルカ24:45)、主の十字架の救いを示してくださいました。さらに、「わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります」(ルカ24:49)と、聖霊が与えられることを告げられました。この聖霊によって、私たちは心の目を健全にされるばかりではなく、霊の目と耳を開いて頂き、御言葉の真理と主イエス御自身を知ることができるようにされました。天の父は求める者に、必ず聖霊を与えてくださることを覚えましょう(ルカ11:13)。
まとめ
主イエスは、昨日も今日もこれからも、変わらずに私たちの命の光として輝き、その光を私たち全ての者に注いでくださっています。主イエスは、十字架の贖いによって、私たちの心の目の濁りを取り除いてくださり、光である主イエスの命に生きる者としてくださいました。主が与えてくださる「健全な目」で、光である主イエスを心に受け入れましょう。主に信頼して、その御言葉に従いましょう。

