神に生きる者たち
モーセの後継者であるヨシュアは、約束の地カナンに入国し、神の導きと助けによって、この地の征服と分割を行ってきました。ヨシュアはその働きをここで終え、イスラエル軍を助けたルベン族、ガド族、そしてマナセの半部族に、モーセが命じた命令と律法を守り行ない、主を愛して、心を尽くし、精神を尽くして主に仕えること(ヨシュア22:5)を述べて祝福し、彼らをヨルダン川の東に帰しました。
その後、この二部族半は一つの祭壇を築きました。それは大きく、主が命じられた場所以外に築かれたものであったために、イスラエルの人々は、彼らが主に反逆し、自分のために祭壇を築いたのだと考えました。そして、主への反逆はすぐに自分たちから取り除かなければならないと判断し、二部族半と戦おうとしたのです。これは、ペオルでの主に犯した不義(民数記25:1-9)や、アカンが聖絶のことで犯した罪(ヨシュア7:19-21)のために、全会衆に下された主の怒りが再び起こることを恐れたからでした。
しかし、戦いを行う前に、イスラエル人は祭司エルアザルの子ピネハスと全部族から代表者を集めて話し合いを行いました。その結果、二部族半の築いた祭壇は、主への反逆や不信からではなく、神に選ばれた十二部族は一つであるようにとの願いから出たことであることが分かりました。誤解が解け、問題が解決されたばかりでなく、このことを通して民全体が、「主がわたしたちの中におられることを知った。」(ヨシュア22:31)のでした。彼らは、問題の発端となったその祭壇を「まことにこれは、私たちの間で、主が神であるという証拠だ。」(ヨシュア22:34)とさえ呼んだのです。問題を通して、むしろ民全体が堅く結ばれ、主の御名が崇められたのでした。
民の間に一致がなければ、その国は立ち行くことはできません。「もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。」(マルコ3:24)。私たちが神の国、神の恵みの領域、神の救いの御業を広げて行くとき、教会、すなわちキリスト者たちの内に必要なのは、主にある一致です。単なる一致ではなく、御霊によって私たちに注がれている主の愛をもって一致することです。主イエスは「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と言われました。愛の一致があるときに、主は最も喜ばれ、そこに御自身の臨在と御業を現して下さいます。
すでに私たちは神に愛されていることを知っています。私たちは、主イエス御自身の命をもって贖われた者であり、永遠の命を与えることを約束された者です。共に御国を受け継ぐ者として主にあって召された私たちは、主の愛をもって互いに受け入れ合い、ますます一致してまいりましょう。そこにこそ、主は臨在を現され、キリストにある豊かないのちを溢れ流れさせて下さるのです。これこそ、神に生きる私たちの姿なのです。

