栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
(マタイ6;29)
世の中の変化は目まぐるしく、この世の繁栄も実にはかなく感じさせられることがしばしばあります。イエス様はそのような人生のはかなさに対し、あれこれ思い煩うことなく神の前に真剣に生きていればすべて必要なものは添えて与えられると話されました。
この聖句はその時語られたいわゆる「山上の垂訓」の一節ですが、私は旧制第八高等学校の寮歌にもこの聖句が引用され「見よソロモンの栄耀も野の白百合にしかざるを 路傍の花にゆき暮れてはてなき夢の姿かな」と歌われていたことを思い出します。
戦前の国立学校の寮歌に聖書の言葉が使われていたのは驚きですが、一部のエリートたちに影響を与えたこの聖句は、その背後にある天地の支配者であられる全能の神の存在を意識したものです。しかし神なき人々の目には、路傍の花一輪、栄華を極めたソロモンの人生、それらがどのように映ったことでしょう。
しかしまことの神は確かに生きておられるのです。しかも私たちを守り、導いてくださる「天の父」としての神です。全能にして天地を支配しておられる神を信じていられる幸いを感謝しています。
<オアシス館担当 S・M>