「聴く耳ある者は聞くべし」

・先日の朝日新聞の「折々のことば」に興味深い言葉が記されていました。それは「音楽が音楽であるのは、それを音楽と受けとる耳があるからだ。」という、相倉久人氏の言葉でした。どんなに素晴らしい演奏でも、聞く側にその演奏を聴き分ける耳が備わっていなければそれは雑音にしか聞こえないかもしれないということです。
・数年前のことですが、ワシントンポスト紙が名バイオリニストのジョシュア・ベルにジーパン・野球帽姿でニューヨークの地下鉄駅構内でバッハのシャコンヌを演奏させたそうです。演奏中何百人もの人がそこを通り過ぎて行きましたが彼の本当の姿を見破った人はいなかったようです。グラミー賞を受賞したほどの演奏家である彼が普通のホールで演奏会を開けば、そのチケット代は一人100ドル位はするそうですが、地下鉄駅で彼が前に広げたバイオリンケースには30数ドルのコインが集まったようです。ある音楽評論家にこの映像を見せたところ、「これはなかなかの技量だから、もう少し集まってもよかったね。100ドル位は・・・」と述べたとか。WP紙の本当の狙いはどこにあるのか分かりませんが、何か考えさせる実験だったと思います。人々は肩書きや外見で判断してしまい、本当に音楽を聞き分けるだけの耳を持っていなかったと言うことだと思います。今年来日した彼の演奏を聞き逃してしまった無念さを思いながら、この話を思い出していました。
・毎年クリスマスになると考えさせられることですが、クリスマスの真の意味を知らない人々が、本来祝うべきこととは無関係に勝手に舞い上がって、大騒ぎをしている滑稽さがどうしても気にかかるのです。それはクリスマスと言う日が人類に大事な素晴らしい救いの道を開くためにこの世に救い主イエスキリストが来臨されたことを覚えて、しっかりと心を開いて我々の受け入れ態勢を整えていかなければならない大切な日だからです。その神からのメッセージを聞き分ける耳を持てるかどうかが今問われているのです。
・2000年前、ユダヤの野原で天使たちの歌声が響いたのですがその妙なる響きを聞き分けられたのは純朴な羊飼いたちだけで、多くの人々が長年待ち焦がれていた人類の救い主の誕生の知らせを聞き分けられなかったということも考えさせられることです。イエスキリストはたびたび「聞く耳のあるものは聞くべし」と語られました。同じメッセージを語られても、聴く耳を持った者だけがその真意を聞き分けられるのです。さまざまな予断や先入観を捨てて、素朴で素直にメッセージに耳を傾けられる人々こそ 祝福された者と言えるのでしょう。この世界には私どもを惑わすいろいろなメッセージが飛び交っていますが、真に大切なものを語っている声をしっかりと聴き分ける耳を持つ者にさせていただきたいと思います。    (S・M)

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