教会について

教会の歴史

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84年の歩み

神召教会は1927年10月この地に建てられて、今日に至っている。
これまでの歩みをたどり、神に感謝を捧げたい。

1.献堂以前

C.Fジュルゲンセン一家
C.Fジュルゲンセン一家
(後列)マリヤ、アグネス/(前列)フレデリケ、カールFジュルゲンセン

献堂に先立つこと15年、1912年米国オハイオ州に住むC・F・ジュルゲンセン夫妻はペンテコステの恵みに浴し、併せて日本宣教の使命を受けた。

未知の国日本への宣教のため家族を連れだって横浜に到着したのは、翌1913年8月のことである。奇しき神の導きにより東京の本郷で伝道を開始したが、次第に伝道の拠点を増やして行き巣鴨から滝野川の方へと開拓の働きも広げられてきた。折しも1923年9月の関東大震災に直面し、住民も周辺に住まいを移すものも増え滝野川周辺も人口の増加がめざましく多くなってきた。

滝野川地域での度重なる天幕伝道の結果少しずつ入信者が与えられてきたので、安定的な信徒指導のためにも会堂の必要性が高まり、遂に1925年に現敷地を賃貸借し、ここでの天幕伝道を続ける一方、この地への会堂建設の祈りが重ねられていった。ジュルゲンセン師は私財全て投げ出すと共に米国の支援者への協力を求め、遂に7500ドルの経費をもってこの会堂が建設されたのである。1927年10月26日、献堂式が挙行された。

2.初代牧師弓山喜代馬師

1927年 新会堂建設の基礎工事
1927年 新会堂建設の基礎工事
1927年 新会堂の建設風景
1927年 新会堂の建設風景

最初ペンテコステ教会と称していたが、そのときはもちろんC・F・ジュルゲンセン師が指導に当たっておられたが、日本人の協力者に弓山喜代馬師が選ばれた。 彼は愛媛県の出身であるが、岡山にて医学を学んでいた時に献身を志し学業半ばで上京し、池袋で独立伝道を開始していた。1922年紹介する人があって、彼は本郷富士前の伝道館においてC・F・ジュルゲンセン師の長男ジョン・ジュルゲンセンと出会いペンテコステ信仰に導かれることになる。二人は協力して伝道に励むことになり、各地に開拓の業が広げられていった。

初代牧師 弓山喜代馬
初代牧師 弓山喜代馬

1927年に献堂されたこの教会では、専ら弓山師が牧会に当たることになった。同師は一時韓国伝道のため日本を離れていたが、1930年帰国した彼は正式に主管牧師として任命を受けた。以来、今日の神召教会の基礎が同師の指導の元に築かれ、大きく発展してくことになる。伝道牧会の傍ら、伝道者の養成のため教会の中に聖霊神学院を設立し、多くの献身者を送り出すことになる。彼らは各地に散り、また他のペンテコステの流れをくむ人々ともふれあい、後に日本アッセンブリー教団結成の中心となっていった。

次第に国際情勢も不穏になってきたが、この地での土着化を目指し1937年には幼稚園の開設に踏み切った。地域への浸透と奉仕の試みであった。そのような流れの中で、1938 年ジョン・ジュルゲンセン師を天に送り、次いで1940年敬愛するC・F・ジュルゲンセン師が帰天された。時局はさらに厳しくなり、1939年の宗教団体法の制定を受けてキリスト教会の統合が求められてきた。遂に1941年日本基督教団が設立され、それへの加盟を迫られることになり、神召教会もその第10部に加入することになった。

昭和24年4月29日 教団創立記念礼拝が神召教会にて行われた
昭和24年4月29日 教団創立記念礼拝が神召教会にて行われた
それまで日本聖書教会、滝野川聖霊教会、滝野川第一教会等々いろいろな名称を使用してきたが、ここに正式に「神召基督教会」と呼称することになり、爾来今日に至っている。

大戦中も教会は守られ、戦災を免れると共に、戦後直ちに宣教活動を開始することとなり、同時に聖霊神学院も再開され、やがて中央聖書学校へ発展していくことになる。 1949年日本アッセンブリー教団が結成され、その本部も当教会に置かれ弓山師は初代教団総理に就任された。翌年本部と聖書学校は駒込の地へ移転していったが、1953年まで同師は教団総理と聖書学校校長そして神召教会の牧師を兼ねることになった。

聖書神学院
聖書神学院
前列右より菊地隆之助師、鈴木多三師
弓山師、田中篤二師、徳木力師
1952年頃 クリスマス会
 
1952年頃 クリスマス会
 

3.二代目山田二三雄牧師

二代目牧師 山田二三雄師
二代目牧師 山田二三雄師

1953年、中央聖書学校第三期生の石原嘉宣師と山田二三雄師が弓山師の後任として着任した。石原師は在任9月で名古屋へ転任し、山田師が事実上二代目として神召教会の指導に当たられた。

低迷期にさしかかっていた教会は、同師の若さと行動力で多方面に働きを広げ伝道活動も活発になっていった。同師は教団、聖書学校の要職をしめる傍らラジオ牧師としても活動を広げ、青年の幻を始め各種のクルセード活動への積極的参加、純福音事業家親交会などの信徒活動の推進、さらには社会福祉への関心が高まり、遂に「恵の園」という社会福祉事業を興すまでに到った。教会は挙げてこれを支援、協力し、いろいろな人材が育っていったが、教会の働きの成果としてはとらえにくく若干の混乱を生じさせることになった。

しかし、この時期の最大の成果は、若手を中心に信徒を育て、自立させ、目を広く社会に向けさせたことではないだろうか。 やがてこの新たなぶどう酒を入れる新たな革袋の作成が必要になってきたということなのだろうか。1970年暮れ、山田師は神召教会を辞し、成増コミュニティを設立することになった。

1968年11月23日 CA役員研修会(恵の園)
1968年11月23日 CA役員研修会(恵の園)
1966年8月3日~6日 青年の幻 夏期ゼミナール
1966年8月3日~6日 青年の幻 夏期ゼミナール

4.三代目山城晴夫牧師

三代目牧師 山城晴夫
三代目牧師 山城晴夫

1971年1月山城晴夫師が着任した。新牧師を中心に心機一転新しい教会形成に取り組まれた。地方教会へ目を向け捧げる教会を目指し、中新田教会と姉妹交流を進めると共に継続的に地方教会への支援を始め、宣教基金を設立した。

同時に献堂50周年を期して教育館を建設するとともに将来を見据えた基本計画を策定しながら伝道所開拓のヴィジョンを掲げ、丁度示された教団の「アッセンブリー1999計画」を受けて川口、草加と相次いで開拓に取り組みそれぞれ神召教会の株分けの形で新しい教会を生み出してきた。

会堂を前にして記念ホールと50周年の歩みをパネルにして外に展示
会堂を前にして記念ホールと50周年の歩みをパネルにして外に展示
1999年10月9日~11日 神召教会(鎌北湖にて) テーマ「リバイバルを求めて」-世紀に輝く灯ー
1999年10月9日~11日 神召教会(鎌北湖にて) テーマ「リバイバルを求めて」-世紀に輝く灯ー

5.四代目高橋正人牧師

四代目高橋正人牧師
四代目高橋正人牧師

2010年4月高橋正人師が着任され、特にユース世代の牧会に力を入れて、複数牧会を通じて神召教会の伝統と培われた信仰の継承、さらに100周年に向けてさらなる発展のために、隣接地に約75坪の土地を購入し、地域社会に貢献することを考慮した中長期ヴィジョンを構築し、日本アッセンブリー発祥の教会としての自覚と責任を持って、新しい時代の福音宣教という大きな課題に神の導きにより祈りながら進めている。

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日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

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