死を乗り越えるもの

・春の訪れとともに、草花は芽吹き虫や鳥たちの動きも活発になり何か新しい命の息吹を強く感じさせられます。とりわけ四季の変化が際立っている日本ではなおさら強く感じるのかも知れません。

・キリスト教の世界ではこの時期にはクリスマスに勝って大切なイースター(復活祭)をお祝いしますが、丁度生命の息吹が活発になるこの時期に、キリストが新しい命によみがえららえたことをお祝いするこの記念日が重なるのはふさわしいのかもしれません。しかしよく考えたら北半球で考えられることで、南半球では季節が逆になるので必ずしも当てはまらないことになります。自分中心にものを考えている勝手な感想なのかも知れません。

・しかしこのイースターは私たちに希望を与えてくれる大切な契機になると思います。どのような人にも100%確実に訪れる「死」をどのように受け止めるか、「死」をすべての終局と考えるのかあるいはさらにその先にあるものを考えるのか、大事な分岐点であると思います。死は決して終着点ではないのです。いや、むしろ新しい命に生きる出発点なのです。この日は私たち人間にとって最大の敵である「死」に、イエス・キリストは打ち勝った記念すべき日なのです。

・19世紀の哲学者キェルケゴールはその著「死に至る病」で、「死を死ぬ」という極めて矛盾に満ちた難解な表現で、絶望は精神の病、それが死に至る病であり、死ぬべくして死ねない、それが死を死ぬことだと説明しています。すなわち死はすべての終わりではないというのです。死の先にあるものが、さらに人を苦しめるのです。その絶望と言う死に至る病をどのように克服するのか、死を希望への踏み台として新しい命への歩みを始める機会にすることができるのがキリスト者だと言うのです。

・私には全く手に余る問題ですが、別な角度から言えば人間のうちに存在する永遠なるものが、人間を転回させ永遠なる神に向き合う場合があると言うのです。絶望した人間が、絶望した自分から脱出しようと欲することによって、自分自身を裸にして神と向き合う、そういう契機を掴むことができるのです。       

・それを考える絶好のチャンスがこのイースターかも知れません。人類最大の強敵である「死」にイエス・キリストは勝利して新しい永遠の命によみがえられたというこの記念すべき日は、私たちに絶望の先にある希望を教えてくれているのです。私たちこのオアシス館の属する神召キリスト教会ではこの日に特別礼拝を行います。この機会に一度教会をお訪ねいただければ幸いです。ぜひ「死」への不安を吹き飛ばし、新しい希望へ向かって歩みだしましょう。                    (S・M)

カテゴリー: 未分類 |