人間が破壊されていく

・最近私たちが目をそむけたくなるような社会現象、信じられない出来事が相次いで起こっています。まるで人間が人間であることをやめてしまったような、いや動物の世界でも起こらないようなことが同じ人間同士の世界で起こっていることに慄然とします。人間が自己の尊厳性を忘れ、人間らしい生き方を捨ててしまったような現象をどう考えたら良いのでしょうか。

・私はそれらに関わる一人一人の人間の責任も問われねばならないと思うのですが、そのように仕向けてしまった社会の責任はもっと大きいのではないかと思います。人は社会的な動物であると言われるように、社会で人と人との触れ合いの中からはじめて人間らしくなっていくのです。まさに社会は人間にとって大切な場であるはずです。特に成長期にある若者にとっては不可欠な場であります。ところが昨今、その社会が人間を壊していくのではないかと思える事象が目についてならないのです。人間が人間でなくなっていく、人間が破壊されていく恐ろしい現象が進行しつつあると感じられてなりません。

・それは社会そのものが崩壊し始めているからだと思います。それは地域共同体や、家庭・学校・職場などが大きく様変わりをしてきたからだと思います。そこから生じる大きなひずみが一人一人の心に強い影響を及ぼしているのだと思います。「向う三軒両隣」という言葉も既に死語になっており、子育てとか色々な相談事も地域で担い合い、育てあうこともなくなってしまいました。今や地域に代わるものは学校や職場ですが、そこには弱者を包みこむ優しさは見当たりません。むしろ目的達成のためには弱者を切り捨てることすら起こりかねません。そこでは、ともすれば緊張関係の中で、身構えて生きていかなければならないところになっています。一人一人が、自分ひとりが生きるのに精いっぱいで、他を顧みるゆとりを失い、寂しさと不安が蔓延し、他者との交わりの中に真の人間としての成長を遂げていくことができなくなっているのです。

・もはや社会が人間を壊していくような酷い現象を、手をこまねいて見過ごしにしているわけにはまいりません。今こそ人々の心が解放され、自分を取り戻し、しっかりと自己を見つめなおすことができる新しい共同体が形成されなければならないと思います。しかしそのようなことが現実に可能なのでしょうか。自己中心で、エゴイズムの塊のような人間には極めて困難な問題だと思います。

・私はかつてオランダのロッテルダムの港で見たザッキンの彫刻「破壊された都市」像を思い出しています。心臓が空洞化し、空へ向かってもがくように両手を伸ばしている図は、人間の心を破壊してしまった戦争の残酷さを訴えているように思えます。まさに破壊された人間です。

次回以降、人間の回復と言うテーマを考えてみたいと思います。

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