『キリストにとどまっていなさい』
はじめに
本日は、主イエスにとどまり続ける幸いについてみてまいります。
Ⅰ.主イエスにとどまり続けなさい
主イエスは、ご自身と教会(私たち)の関係を、ぶどうの木と枝の関係でたとえて教えています。枝はぶどうの木につながっていてこそ、豊かに実を結ぶことができます。それと同様に、教会もキリストにつながっていることで、実を結び、救いにあずかることができるのです。
私たちは、主に召し集められたものです。私たちが自分の力で努力して実を結ぶ枝となって、主というぶどうの木につながっているのではありません。主が私たちを主につなげてくださっているので、私たちは実を結ぶことができるのです。主は「わたしにとどまりなさい」と励ましています。主にとどまり続けましょう。
Ⅱ.み言葉にとどまり続けなさい
主イエスにとどまるということは、主のみ言葉にとどまることです。そうするならば、み言葉によって主のみ心が私たちのうちに実現して行きます。それこそまさに、主イエスの弟子となるという実を結ぶということです(ヨハネ15:7-8)。
み言葉に従って歩む者は、主の弟子であり、主の弟子は、神を心から信頼して、神が最も良いものを与えて下さると確信して生きる者です。主の弟子は、豊かな実を結ぶことが約束されています。なぜなら、弟子が実を結ぶことを通して、父なる神に栄光が帰されるからです。み言葉にとどまり続けましょう。
Ⅲ.主が愛されたように愛しなさい
主は、私たちが実を結ぶために、互いに愛しあうべきことをも教えています。父なる神が御子イエスを愛されたように、御子は私たちを愛してくださっています(ヨハネ15:9)。父なる神の私たちに対する愛は、御子イエスの十字架の贖いによる救いに完全に現わされました。主は、罪人であり、神に敵対していた私たちのために、その罪を全て背負って十字架で死んで下さり、三日目に復活されたのです(ヨハネ15:13)。
この神の救いをいただいたものたちは、主の新しい戒めに生きるものとされるのです。主の新しい戒めとは、主が私たちを愛してくださったように、互いに愛し合うということです。この主の戒めに生きようではありませんか(ヨハネ15:12)。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
おわりに
主イエスは、私たち(教会)を主につながるものとして召し出してくださいました。私たちが主にとどまり続ける時、神のみ言葉にとどまり、それぞれが豊かな実を結ばせてくださいます。すでに注がれている主の愛にとどまり続けましょう。

