『神の家は祈りの家』
はじめに
本日の礼拝は神召聖会です。今年の教会の聖句「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」というみ言葉を見てまいります。
Ⅰ.神の家は祈りの家
主イエスは、十字架のためにエルサレムに入城され、宮に入られます。その時、主は、神を礼拝する場所で売り買いしている者たちを見て、彼らを荒々しく追い出しました。そして、「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてあるのに、それを『強盗の巣』にしている」と言われました(マタイ21:12-13)。
最初の頃、宮で商売をする人たちは、礼拝をする人たちの便宜をはかっていました。しかし、時と共に、各地から多くの人々が宮に訪れて金品が行き来する中、いつの間にか真の礼拝が端っこに追いやられてしまっていたのでした。主は、本来の神への祈りや飢え渇き、また神との真の交わりを回復すべきことを願われたのです。私たちは主の十字架の贖いを覚えて、常に主なる神を「御霊と真理によって礼拝」するものとさせていただきましょう(ヨハネ4:24)。
Ⅱ.真に神を礼拝する者とされる
主は、「祈りの家」と呼ばれるべき神の家が、「強盗の巣」にされていると言われました。これは、当時の人々が神を信じているといいながら、実際には神を信じるどころか畏れもせず、神に背いた生活をしていた姿を言っています。
当時のイスラエルの民は、普段は神が喜ばない生活を送っていながら、宮に来て儀式を行ったなら罪を赦されると、偽りの安心感を抱いていたのです。その様な人々が集まる宮を、神は強盗の巣と言われたのです(エレミヤ7:9-11)。私たちは御子イエス・キリストの十字架による救いをいただき体験した者です。父なる神の愛と御子イエスの十字架による愛とに応えて、主を礼拝し、日々主と共に歩みましょう。
Ⅲ.全ての人が礼拝に招かれている
主は宮の中で、宮に入ってはいけないとされていた人々を癒されました。また、宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを許されました。これらのことを見た祭司長たちや律法学者たちは腹を立て、主に厳しく注意をしました。
主が来られたことで、礼拝から疎外されていた人々や数に入れられていない人たちが、真実な礼拝者とされたのです。神の家は祈りの家です。そこで、あらゆる人々が、真実に神を礼拝することが許され、神は人々を礼拝へと招いてくださっています。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、真実に神を礼拝する民とされました。神の子とされた私たちは、神の家に来ることを許された者です。主にあって、神を礼拝し、神に祈るものとされていることを感謝し、主の御名を賛美し、主との交わりに生き続けようではありませんか。
おわりに
主イエスは、「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と語られました。主こそ、私たちのまことの神の家であり神殿です。主に召し出された私たちは、キリストの体なる教会とされています。そして、「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

