『主の私たちに対する目的』
はじめに
本日は、神殿建築に取り組む神の民の姿をみます。
Ⅰ.神の御言葉に従って
帰還したイスラエルの民は、第七の月が来たとき、全焼のささげ物を献げるための祭壇を築くためにエルサレムに集まりました。それは、モーセの律法に従おうとしてのことでした。民はバビロンの捕囚の中、神への信仰を回復し、神の御言葉に堅く立つ幸いを学び知ったのでした。
今日、私たちも主イエスと御言葉に堅く立って、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるように」(ローマ12:2)させていただきましょう。クリスチャンの信仰生活の歩を決める基準は、神の御言葉なのですから。
Ⅱ.神殿建設の志と準備
帰還してきた人々は、自分たちを襲ったり、神殿建設を妨害しようとしたりする「周りの国々の民」を恐れていましたが、「祭壇を所定の場所に設け」ます。その上で、律法に従って、主に朝ごと夕ごとの全焼のいけにえをささげました(エズラ3:3)。祭壇を築いたことの中に、帰還民の神に対する信頼と希望、喜びが表れています。この時はまだ、神殿の礎は据えられていませんでしたが、その準備が進んでいたことが分かります。
現在の私たちにとって、「全焼のいけにえ」とは、主イエス・キリストの十字架の贖いを表しています。主イエスの十字架の贖いによって、罪というバビロン捕囚から解放され、神の国の民とされたことを喜び感謝しましょう。そして、日々祈りと御言葉に聞くという祭壇を築いて、聖霊に導かれて自分自身を生きた聖なる供えものとして、喜んで神に捧げ続けましょう。
Ⅲ.主がいつも共にいてくださる
民が「エルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月」に、主の宮の工事を始めます(エズラ3:8)。民は、防衛のための城壁再建をする前に、神殿建設に着手しました。人々は、神が共におられるならば、いかなる敵の攻撃や様々な困難からも守られることを信じていたのです。
神殿建設は、帰還民が、困難な中にも神が共におられることを信じ受け入れて、神の臨在を招き入れることを中心にして成されて行きました。主が共に居られるということは、主の御心が主の霊を通して民のうちに働き、事を成し遂げさせてくださると言うことです。主の教会は、主の十字架の贖いによって、聖霊なる神がその中心にいてくださる群れです。主イエスを、常に内に迎え入れ続けましょう。
おわりに
帰還民は、最初に神を礼拝する祭壇を築きました。その後、町を防御する城壁再建の前に、神殿建築を行います。主が共に居られるならば、志しを成し遂げてくださることを信じたからでした。今も変わらず、「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ2:13)