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『新しい契約を結ぶ神』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 エレミヤ31:23-34

はじめに

本日は、背信の民であっても、新しい契約を結んで救いを成し遂げようとされる神の愛をみます。

Ⅰ.共にいて下さる神に希望がある

主なる神はこれまで、預言者たちを通してユダの民に、その罪ゆえのさばき(バビロン捕囚)が起こることを警告してきました。ここにおいて、神は預言者エレミヤに「わたしが彼らを元どおりにするとき、彼らは再び次のことばを、ユダの地とその町々で語る。・・・」と告げて、滅ぼされたユダの町々を元通りにするという約束を告げられます(エレミヤ31:23-25)。

神のさばきの目的の一つは、神の民を真の神に立ち帰らせることです。民は、神への背信のゆえに全てを失いましたが、神は民を見捨てませんでした。神に信頼する者には希望があります。主イエスの十字架の贖いによって、救いを頂いた者には、常に共にいてくださる主によって希望があることを覚えましょう。

Ⅱ.建て直し、植え、見張られる神

エレミヤは、神が「イスラエルの家とユダの家に、人の種と家畜の種を蒔く」ということ、そして、「彼らを建て直し、また植えるために見張る」こととを告げられました(エレミヤ31:27-28)。このことは、エレミヤが神に召し出された時に語られたこととは逆のことでした(エレミヤ1:10)。ここで、「民が引き抜かれた」とは、具体的にはバビロン捕囚のことです。神は、民をさばくことによって、民を滅ぼすのではなく、彼らを解放してエルサレムに帰還させること、すなわち新たに植えることを約束されたのです。

今も変らない神は、私たちの状況が「引き抜かれ、打ち倒され、打ち壊されている」ようであっても、再び建て直しまた植えてくださるのです。やがて、主イエスが再臨される時、神の民は完全にされ、神の栄光の内に入れられるのです。

Ⅲ.罪のさばきの身代わりとなられた主イエス

神はさらに、「その日には、彼らはもはや、『父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く』とは言わない。」と語られます(エレミヤ31:29)。これは、当時のイスラエルの諺を用いて、だれであっても酸いぶどうを食べた人自身の歯が浮くのであって、世代間における罪の報いは存在しないということを示しています。

各々が「酸いぶどうを食べた」ことの報いの解決、すなわち罪の赦しは、主イエスの十字架によって成し遂げられました。御子を信じる者は一人も滅びることなく、永遠のいのちをいただくことができるようにされたのです(ヨハネ3:16)。

おわりに

背信の民にさばきを告げられた神は、赦しと民の回復をも約束し、慰めを語られました。この約束と慰めは、御子イエスの十字架の贖いによって、全ての人に与えられています。「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ」(イザヤ45:22)と言われた神を信じて歩み続けましょう。

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