『明かりと秤のたとえから』
はじめに
本日は、主の明かりと秤のたとえから、神の御国の奥義をみます。
Ⅰ.「明かり」はキリストのこと
主イエスは、「神の国の奥義」を「明かり」のたとえを用いて語られます。明かり(灯火)を燭台の上に置くのは、暗い部屋を照らすためであるのと同じように、今は隠されているものも、やがて露わにされることを教えています。
主イエスは、神の御子で真の救い主です。そのことは、主が世に来られたときは、誰も理解できませんでした。しかし、すべての人を照らすまことの光である主は、誰も知り得なかった十字架による救いを成し遂げ、全ての人に救いの道を与えて下さいました。キリストという「明かり」は、今も、全ての人々に救いの道を示してくださっているのです。
Ⅱ.信仰をもって御言葉を聞く耳
主は、「聞く耳があるなら、聞きなさい。」と言われました(マルコ4:23)。「聞く耳」とは、神の国の奥義を示す御言葉を、信仰をもって聞き取ることです。それは、主によって到来した神の国(神の支配)のことを知るためには、神の御言葉による以外にないからです。
信仰は聞くことから始まります(ローマ10:17)。信仰の耳をもって御言葉を聞くとき、私たちは今は隠されていても必ずあらわになる「明かり」を知り、神の臨在を実体験させて頂けるのです。
Ⅲ.御言葉に対する「秤」を大きくする
主はまた、御言葉を聞く態度において、「あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。」とたとえを語られました(マルコ4:24)。これは、御言葉を聞くとき、この世や自分の基準、尺度で受け取るべきではないことを教えています。神が与えて下さる恵みの御言葉を、「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(ルカ1:38)という信仰をもって受け取って従うとき、そこに御言葉の恵みが豊かに注がれるのです(マルコ4:25)。
私たちは御言葉を聞くとき、どの様な「秤」をもってそれを受け取っているでしょうか。多くの神の恵みを頂くための秤は、神の前にへりくだって、神の御言葉に聞き従うことです。神は御言葉に従うことを善しとされ(Ⅰサムエル15:22)、時が来たなら豊かな実を結ぶ祝福を与えてくださるのです(詩篇1篇)。
おわりに
主イエスは、全ての人を照らす真の光としてこの世に来てくださり、私たち人間の救いの道を与えて下さいました。御言葉と聖霊の助けによって、主を知り、神の愛のうちに生かされ続けて行く幸いな歩みを続けましょう。