『キリストは命のパン』
はじめに
本日は、「わたしがいのちのパンです」と言われた主イエスについて見ます。
Ⅰ.永遠のいのちに至る食物のために働く
五千人の給食の日の翌日、群衆は主イエスを探してカペナウムに来ました。それは、主がなされた奇蹟を見て信じたのではなく、パンを食べて満腹したからでした。主は彼らに、「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」と語られました。
人には、肉体のいのちと同時に、霊的ないのちがあります。霊のいのちは、神の御言葉によって養われなければなりません。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(マタイ4:4)主イエスこそ、「永遠のいのちに至る食べ物」です。
Ⅱ.信仰こそ神の働き
主が「永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい」と言われたとき、それを聞いた人々は「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」と主に問いました。当時の人々は、「神のわざ」とは律法を行うことと考えましたが、主イエスは「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」と答えられました(ヨハネ6:29)。
罪人は誰でも、主イエスを救い主として信じることによって救われます。父なる神は、御子イエスを世に遣わしてくださいました。主イエスは、全ての罪人の身代わりとなって十字架で死なれ、三日目によみがえられ、救いの御業を成し遂げてくださいました。主イエスを信じることこそ、神の最大のわざなのです。
Ⅲ.永遠のいのちをあたえるパン
主イエスが、「わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。」と言うと、それを聞いた人々は、「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」と言いました。それに対して、主は「わたしがいのちのパンです。」と言われました(ヨハネ6:35)。
主は、私はいのちのパンを与えると言われたのではなく、いのちのパンそのものであると言われたのです。神が御子をこの世に遣わされたのは、私たちが御子にあって永遠のいのちを持ち、そのいのちに与ったすべての人を主が一人も失うことがないようにし、終わりの日によみがえらせるためなのです(ヨハネ3:16、6:39-40)。主イエスこそ、永遠のいのちを与える生けるパンなのです。
おわりに
神の御心は、いのちのパンである主を信じる者を、御霊のいのちに日々生かすことです。そのいのちは、肉体の死で終わるものではありません。私たちには「復活のいのち」が用意されています。そのいのちに与らせるために、主は「わたしである、恐れるな」と語って日々導いてくださいます。