『わたしだ。恐れることはない。』
はじめに
本日は、湖の上を歩まれた主イエスは、神の御子であるということを見ます。
Ⅰ.主イエスは私たちと共に居られるお方
五千人の給食の奇蹟の後、弟子たちはカペナウムを目指して舟に乗り込みました。強風の嵐の湖で、彼らは湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのが主イエスと知らずに恐れてしまいました。
弟子たちは、これまで数々の主の御言葉に伴うしるしと不思議を見て体験していたのです。しかし、彼らの信仰の中に、主イエスという神が生きていなかったのです。信仰は、頭の中にある思想や概念ではなく、私たちの実生活の中で、主が生きておられるということを実体験することです。主イエスは神のひとり子で、救い主です。また、主を信じる者たちといつも共に居られるインマヌエルの神なのです。
Ⅱ.私たちの所に来てくださる主イエス
主は、荒波に浮かぶ舟の中で、恐れや不安に捕えられていた弟子たちの所に、水の上を歩いて来られました。そして、「わたしだ。恐れることはない。」と、弟子たちに語りかけられます。彼らは、湖の上を歩く主を見て、また五千人の給食の奇蹟をはじめとして、主の力あるしるしと業を思い返し主を知りました。
主を知り、主に信頼するとき、人は全ての恐れから解放されます。私たちを愛してやまない神は、私たちが一人として滅びることなく、永遠の命に生きるようにと、御子イエスをこの世に遣わし、十字架において救いの道を開いてくださいました(ヨハネ3:16)。主に信頼する者は、だれも失望させられることがないのです(ローマ10:11、イザヤ28:16)
Ⅲ.目的地に導く主イエス
荒波のため弟子たちの舟は、いっこうに進みませんでした。しかし、彼らが湖の上を歩いて来られた主を喜んで舟に迎えると「舟はすぐに目的地に着いた」のです。このことは、主を心の舟に迎え入れるなら、主が目的地に導いてくださることを教えています。主は、嵐や暴風をも支配され、暗闇の中でも湖の上を歩いてまでも私たちの所に来てくださるお方です。
人生という航海には、ガリラヤ湖の荒波を遙かに超える困難や恐れ、また暗闇の日々が襲ってくることがあります。しかし、私たちの救いのために十字架にかかってくださった主は、「わたしだ。恐れることはない」と語ってくださっています。主の愛と救いを感謝して受け、主と共に歩む幸いを続けてまいりましょう。
おわりに
人生という航海には、嵐や暗闇のときがあります。主は、どんな嵐や暗闇の中でも、水面の上を歩いてまでも私たちの所に来てくださいます。私たちの人生に主を迎え入れ、主に信頼する時、どんなに小さな舟でも、またどんなに大きな嵐に遭遇しても、主は必ず永遠の目的地に到達させてくださることを覚えましょう。