『キリストの恵みによる賜物』
はじめに
本日は、イエス・キリストによる救いの恵みの賜物について見てまいります。
Ⅰ.救い主は神の御子イエスだけ
聖書は、最初の人アダムの犯した罪によって、アダム以来すべての人に罪の性質が入り込み、その結果として世界に死が入り込んでしまったことを教えています(ローマ5:12-14、6:23、創世記2:16-17)。
いつの時代のどんな人であっても、人間の内に罪がある限り、その結果である死から免れることのできる人は一人もいません。また、この罪の問題を解決できる人もいません。人を愛してやまない神は、人が滅んでしまうことを望んではおられません。ですから、すべての人の救いのために、ひとり子イエスを世に遣わしてくださいました(ヨハネ3:16)。主イエス・キリストだけが、全ての人の救い主です(使徒4:12)。
Ⅱ.最初のアダムと最後のアダム
パウロは、最初のアダムと最後のアダムであるキリスト(Ⅰコリント15:45)を対比させながら、アダムの罪に対するキリストの恵みの圧倒的勝利を語っています。つまり、主イエスは、人のいかなる罪も、また人が全く勝利することのできない罪であっても、十字架の贖いによってすべての罪を赦し、神の前に義なる者、神の子とするという恵みを与えるお方であることを示しています(ローマ5:15-16)。
主イエスの十字架の贖いによって、全ての罪人は罪を赦され、神と和解させていただき(エペソ2:14)、神と共に生きる道が開かれました(ローマ5:8-11)。主イエス・キリストの十字架の死と復活は、人を支配していた罪と死の力に対する完全な勝利を表しています。それによって、私たちを罪と死の支配から解放し、神の子として生きるようにしてくださいました。主を心に受け入れ、世に勝つ者とされたことを感謝して、主と共に歩み続けましょう(Ⅰヨハネ5:4)。
Ⅲ.神の一方的な恵みと憐れみによる救い
パウロは、「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5:20)と語っています。彼は、律法によって罪が増したことによって、すなわち律法によって罪を知ったことによって、神の恵みがいかに偉大で神の愛は豊かで満ち溢れているものであるかを知ったのです。
パウロは、神の一方的な救いの恵みの偉大さを知って、罪の現実を知り、生まれながら罪の奴隷となっている事の深刻さを知ったのです。私たちも、主イエスによる救いの恵みの中でこそ、聖霊の光に照らされて、自分の罪の深さを知ることができたといえるでしょう。私たちは、神を信じる信仰によって救いを頂いたという神の恵みと、主イエスの十字架の贖いの御業を知る者とされました。滅びるべき自分が、神の一方的な恵みと憐れみによって救いを頂いたことをおぼえて感謝しつつ、まだ主イエスを知らない隣人に、キリストの良き訪れを宣べ伝えて行きましょう。
おわりに
パウロは、圧倒的な主イエスの救いの恵みを体験しました。私たちも同様に、主による救いと罪の支配からの解放を体験し、神との平和に生きる幸いを頂きました。主の救いを頂いた者として、主の福音を宣べ伝えて行きましょう。