『信仰によって前を望み見る』
ヘブル人への手紙11章は、旧約聖書中の信仰者たちの歩みが凝縮されている、いわゆる「信仰者列伝」と言われている箇所です。今朝は、その中から、創世記中の族長たちの信仰について見て参りましょう。
1) アブラハムの信仰生活
アブラハムは「信仰の父」と言われる人物です。神の召しに応え、行く先を知らずに故郷を出て行った時から、その信仰の歩みが始まりました(創12章以降)。アブラハムには失敗も弱さもありましたが、神は彼を真実な御手をもって導かれました。ヘブル人への手紙が特にアブラハムの「信仰」として注目していることは、次の三点です。①神を真実なお方と信じたこと。②神ご自身が設計された天の都を待ち望んでいたこと。 ③神の約束を共に受け継ぐイサク・ヤコブと共に天幕生活をしたこと。
クリスチャンは、御子イエスの十字架の死と復活によって、真実を尽くされる神の愛と、偉大な救いのみ心を知る者とされました。主を信じる信仰により、永遠のいのちと御国の大きな希望が与えられています。 教会は、この希望に満ちた約束を共に受け継ぐ者たちが、主によって召し集められているところです。
2) 天の故郷を目指す旅人・寄留者として
アブラハムをはじめ、旧約時代の信仰者たちは、「約束のものを手に入れることはなかった」とあります(13)。「約束のもの」とは、究極的には、神の約束のメシヤ(救い主キリスト)による救いと、メシヤの統治する御国の到来のことです。彼らは、約束の実現を肉眼で見ずとも、信仰によって望みを抱いて喜び、御国を目指す「旅人・寄留者」として、生けるまことの神を証しする生涯を全うしたのです。
私たちもまた、この世にあっては、御国を目指す旅人・寄留者です。しかし、新約時代のキリスト者は、メシヤである御子イエスを通して成された救いにあずかり、神の御言葉(聖書)と、助け主である聖霊を与えられているという点において、旧約時代よりも、はるかに幸いな時代に生かされています。キリスト者の国籍は天にあります。すでに天に名前が登録されている事を喜び、感謝しましょう(ピリピ3:20、ルカ10:20)。
3) 信仰によって前を望み見る
この箇所には、創世記の族長たちの「旅人・寄留者」としての信仰の歩みが簡潔にまとめられています。 ・アブラハム…「死んだも同然」(12)である自らと妻サラを通して、イサク誕生という神の約束の実現を体験した彼は、全能の神への全き信頼のもと、試練に際して復活信仰を表明しました。その結果、死者の中から命を取り戻すような祝福を体験しました。 ・イサク…家庭に深刻な問題が生じていた最中でしたが、神のみ心に従って、次世代を祝福しました。 ・ヤコブ…波乱万丈の人生を神によって導かれた証しを内に持っていました。礼拝者の歩みを全うしました。 ・ヨセフ…エジプトの宰相とまでなった人でしたが、父祖たち同様、神の約束の実現を確信し、その一つの証しとして、臨終に際して遺言を残しました。
彼らに共通しているのは、“神の約束の実現を望み見る”信仰が与えられていた事です。彼らをその生涯に渡り、真実に取り扱われ導かれた同じ主が、私たちの主であることを覚えましょう。
おわりに
旧約時代の信仰者たちのバトンは、新約時代のクリスチャンに渡されています。置かれた現実の中で、神の御言葉に聞き、主を信頼して歩むとき、主の御業が現わされて行きます。信仰の創始者であり完成者である主イエスから目を離さず(ヘブル12:2)、今週も生きておられる主の証し人として歩んで参りましょう。