『神の聖なる国民とされる』
はじめに
本日は、神の民、聖なる国民とされる幸いについてみます。
Ⅰ.神の契約の民
神は、イスラエルが出エジプトをして、シナイ山の麓に宿営した時、民と契約を結ばれました。神との契約は、神ご自身が、民をエジプトの奴隷から解放したという恵みを土台としています。また、その内容は、神がイスラエルの民をご自分の民とし、ご自身がイスラエルの神となるというものです(出19:4-6)。
今の私たちクリスチャンには、この古い契約を基にして、新しい契約が与えられています。それは、主イエスの十字架による贖いと復活を基として、主を救い主として受け入れるすべの者に与えられる、罪の赦しと神の子とされる特権、そして永遠の命が与えられるというものです。私たちは、主の救いによって、新しい神の民とされていることを感謝いたしましょう。
Ⅱ.神の祭司の民
神はイスラエルの民に、「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。」、そして「あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」と語られました(出19:5-6)。祭司は、神と人々との間に立ってとりなしをする者です。イスラエルは、他の全ての人々、民族のためにとりなしをし、神とよい関係を持って生きることができるために奉仕する民として選ばれたのです。
私たちクリスチャンは、主イエスを信じる信仰によって「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民」とされました。それは、私たちを罪の奴隷から解放し、神の救いの御業とその栄光を証しするためです(Ⅰペテロ2:9)。私たちは、主の偉大な救いの恵みを頂いたのですから、神の福音を人々に宣べ伝え続けましょう。
Ⅲ.主イエスの聖なる民
モーセは、神と民との仲介者となって、神が結ぼうとしている契約について、民の長老たちに神の言葉を告げました。それを聞いた民は、神の契約を受け入れて神の民として歩むことを約束しました(出19:8)。このようなやりとりの後、契約の締結の備えが成されて行きました。その備えとは、「あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」(レビ11:45)との御言葉に言い尽くすことができます。
今、私たちクリスチャンは、主イエスの十字架の血潮によって聖なる者とされ、大胆に神の御前に近づくことができます。クリスチャンは皆、聖霊の賜物を内に頂いています。私たちをきよめる主の血潮と聖霊に日々より頼み、聖なる祭司の民として、主の御名をほめたたえ、主の救いの恵みを感謝して歩み続けましょう。
おわりに
神はその一方的な恵みと憐れみによって、イスラエルの民と契約を結ばれました。同じように、教会は、主の十字架の贖いによって神の民、聖なる国民、神と人々との間をとりなす祭司とされました。救いの恵みに感謝し、いよいよ神の愛と、主の救いの恵みを宣べ伝えましょう。