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『共におられる神』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 イザヤ7:10-25

はじめに

本日はアドベント(待降節)第一週です。主は、常に私たちと共にいてくださるお方であることをみます。

Ⅰ.神との交わりに生きる

ユダの王アハズに、「アラムがエフライムと組んだ」という知らせが届いたことで、王も民も恐怖で心が動揺します。主は預言者イザヤを通して、主に信頼するように励まします(イザヤ7:1-9)。さらには、「しるしを求めよ」とさえ告げられます(イザヤ7:11)。しかし、王は「私は求めません。主を試みません。」と言って、神に信頼しているようで、その実、神よりもアッシリアに拠り頼んだのです。

主は、私たちが主のもとに来ることを喜ばれます。主に祈り求めることによって、主の栄光や御業を通して、私たちが神を知って喜びに満ち溢れることを願っておられます。「今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(ヨハネ16:24)

Ⅱ.神ご自身が与えた救いのしるし

しるしを求めないアハズ王に、神自らがしるしを与えられます。それは、「処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)というものです。この「男の子」とは、誰のことかは具体的には記されていません。しかし、この預言の数年後に、アッシリアがアラムとエフライムを打ち破ります。

これは、南ユダに対する神の救いの約束であると同時に、全ての人に与えられる究極的な救いのひな形を示したものでもあります。究極的な救いとは、「インマヌエル」と呼ばれる神の御子イエス・キリストのことです(マタイ1:22-23)。この預言の約700年後に、神は御子イエスを、罪人の救いのためにこの世に遣わされました。キリストを救い主として信じて、主に拠り頼んで祈り願うとき、どんな罪も主の十字架の血潮によって赦され、永遠の命を与えられて神の子として歩むようにされるのです(ローマ10:13)。ただ一人の救い主、イエス・キリストの救いを頂きましょう。

Ⅲ.ただひとりの真の救い主

アッシリアは、南ユダ王国を救いました。しかし、それは一時的なもので、神は究極的な救い主を与えることを約束されます。その救い主とは、イエス・キリストです。主イエスだけが、人を永遠の滅びに追いやるこの世の権威を持つ支配者の力から、また全ての滅びの根源である罪から救ってくださるお方です。

主は、全ての罪人の裁きの身代わりとなって十字架で死なれ、三日目によみがえられ、救いの御業を完成してくださいました。主イエスこそ、永遠の救い主です。インマヌエルの主は、私たちを罪から救う時はもちろん、祈る時も、福音を宣べ伝える時も、いつも私たちと共におられるのです。このお方に信頼する時、私たちは救われ、勝利ある歩みをすることができるのです。「この方(イエス・キリスト)に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10:11)ことを覚えましょう。

おわりに

神は、私たちの救いのために、ひとり子イエスを世に遣わされました。主イエスを信じる者は、だれでも救われます。アドベントの月、救い主の誕生を覚えつつ、再び来られる主を待ち望みましょう。

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