礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2023年礼拝メッセージ

『耐え忍ぶ人への報い』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マルコ13:1-13

はじめに

本日は、主イエスが再び来られることを覚えて、主を耐え忍んで待ち望む者の幸いをみます。

Ⅰ.御霊と真理によって父を礼拝することの始まり

主イエスが宮から出る時、弟子の一人が神殿を見て、「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」と言います。主はそれに応えて、この壮麗な神殿が徹底的に破壊される時が来ることを語られました(マルコ13:1-2)。

神殿崩壊の予告は、神殿における礼拝の終わりを意味していました。神殿は、神が民と出会ってくださり、民が神を礼拝する場所でした。しかし、主イエスの十字架の贖いによって、これまでの神殿礼拝から、場所や建物によらない、「御霊と真理によって父を礼拝する時」(ヨハネ4:23)が始まったのです。私たちは今、主イエスを信じる信仰によって聖霊の宮とされていることを覚えましょう。

Ⅱ.キリストにある希望に導かれる

神殿の崩壊を、この世の終わりに起こる事として捉えた弟子たちは、その時期、徴候について主に問います(マルコ13:3-4)。主は、幾つかの徴候を教えましたが、「これらのことは産みの苦しみの始まり」であると語られました(マルコ13:5-8)。これは、主イエスが世に来てくださったことによって、終わりの時代がすでに到来していること。また、主の聖徒たちは、世の終わりに向かう中で、困難や苦しみを通るけれども、それによって神の救いの完成へと導かれることを示しています。

私たちも様々な患難が襲いかかって来る時にこそ、慌てふためいてしまうのではなく、信仰に堅く立たせていただき、忍耐して、神による救いの完成を待ち望みましょう。「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ5:3-5)

Ⅲ.最後まで耐え忍ぶ人は救われる

主は、世の終わりのもう一つの徴候として、主を信じることで迫害を受けることを語っています(マルコ13:9、12-13)。聖徒たちが受ける迫害によって、福音が全ての民に宣べ伝えられる機会となるからです(マルコ13:10)。

全てのクリスチャンは、主の救いを証しする者として用いられます。たとえ、迫害の苦しみを受けたとしても、それは「産みの苦しみの始まり」で(マルコ13:8)、証しされた福音は、やがて実りを生むからです。私たちは、この世にあって様々な信仰の戦いを強いられるでしょう。しかし、世の終わりにも必ず報いが与えられるように、主と共に生きる今も、主からの報いを頂いていることを覚えましょう。主を信じて、「最後まで耐え忍ぶ人は救われる」のです。

おわりに

万物の終わりは近づいています(Ⅰペテロ4:7)。終末は、主イエスがこの世に来られたときに始まっています。主イエスの十字架の贖いによって、信仰によって私たちは救いを頂きました。主は再び帰ってこられます(再臨)。キリストがいつ再臨されても良いように、主イエスを救い主として受け入れて、その時を待ち望みましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分