『バプテスマの恵み』
はじめに
本日は、バプテスマの恵みを覚えて、その幸いをみてまいります。
Ⅰ.ヨハネのバプテスマ(洗礼)
主イエスは、公生涯に入る前に、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けました。この当時のバプテスマは、真の神を知った異邦人が、ユダヤ教に改宗するときに受けるものでした。しかし、ヨハネが授けていたバプテスマは、真実に神を信じて神に立ち帰り「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ためのものでした(ルカ3:7-10)。
洗礼者ヨハネ以降のバプテスマは、神に背いて生きてきたことを悔い改めて、神を中心として神と共に生きることの信仰表明です。主の前に悔い改めて赦されていることを覚え、また主が共に歩み続けてくださっていることを覚えて感謝いたしましょう。
Ⅱ.主イエスのバプテスマ
神の御子である主イエスは、悔い改めのバプテスマを受ける必要は全くありませんでした。主がバプテスマを受けられたのは、「正しいことをすべて実現すること」(マタイ3:15)が主に従う者としてふさわしいことだからです。また、主はバプテスマを受けられることで、自らを低くされたへりくだりを示し、主イエスが神の御子であることを示すものでした(ルカ3:21-22)。さらには、全ての罪人の救いを成し遂げるという、父なる神から与えられた神のしもべとしての使命を与えられたことも示しています。
主イエスの十字架の贖いによって、悔い改めて主を信じる者には、罪の赦しと永遠の命が約束されたのです。主イエスを救い主として受け入れ、主に倣って罪赦され、神の子とされたことを感謝して、日々主イエスに似る者とされ続けましょう。
Ⅲ.私たちのバプテスマ
主イエスが受けて下さったバプテスマと、私たちが受けるそれとは深く関わっています。主イエスは、私たちに先だってバプテスマを受けてくださいました。このことを通して、神に敵対さえしていた私たちは、主イエスの十字架の贖いによって新しく生まれ変わり(Ⅱコリント5:17)、神の子どもとされ(ガラテヤ3:26)、新しい使命を頂いたのです(マタイ28:19-20)。このキリストの姿に倣う者とさせて頂きましょう。私たちは、主イエスの死にあずかるバプテスマ(十字架)によって、主イエスと共に罪人として葬られ、主イエスが天の父なる神の栄光によって死者の中から復活されたように、私たちも新しい命に生かされるのですから(ローマ6:4-5)。
礼拝は、復活の主と相まみえて、バプテスマの恵みを週ごとに再確認するところでもあります。礼拝に集う度に、「あなたは、わたしの愛する子」という天の父なる神の語りかけを体験させて頂きましょう。
おわりに
私たちが主イエスを救い主として信じたとき、バプテスマという恵みが与えられています。主イエスは、神の救いの様々な恵みを与えるため、私たちより先にバプテスマを受けてくださいました。礼拝のたびごとに、神が与えてくださる救いの恵みを感謝して頂きましょう。