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『良い知らせを伝える』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 イザヤ61:1-11

はじめに

本日の聖書箇所から、主に贖われた者の祝福を見てまいります。

Ⅰ.嘆きや悲しみを喜びに

主なる神は、預言者イザヤを通して、主の霊を留める神のしもべが、「主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げる」と語ります。神のしもべは、罪に捕らわれている人々を解放し、嘆き悲しむ者たちを慰めて、神の栄光を表す者とするのです(イザヤ61:1-3)。この神のしもべとは、究極的には神によって遣わされる救い主イエス・キリストのことです(ルカ4:18-19)。

主は、罪から救われるという「主の恵みの年を告げるために」(ルカ4:19)人となって世に来られました。私たちの贖いを完成された主は、次に「われらの神の復讐の日」、すなわち聖徒たちへの報いとして、神の御許に携え上げられる再臨の時にも世に来てくださるのです。主の再臨の時を待ち望みつつ、御言葉に堅く立ち、聖霊の導きに従って、日々歩み続けましょう。

Ⅱ.主の祭司と呼ばれる

神は、人々を罪から解放するだけではなく、「主の祭司」、「神に仕える者」としてくださいます(イザヤ61:6)。「祭司」とは、民に代わって神に執り成しをする人のことです。イスラエルは、もともと神の祭司の民として召されていました(出エジプト19:6)。その特権は、今や主イエス・キリストの十字架の贖いによって、主を信じる全ての者に与えられています。

私たちは、以前は神の民ではありませんでした。しかし、神の一方的な恵みによって「王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民」とされました。神の恵みに感謝し、人々の救いのために執り成す者として主に仕え、主の福音を人々に伝えて行きましょう(Ⅰペテロ2:9)。

Ⅲ.神にあって喜ぶ

聖書は、主の恵みの年には「私は主にあって大いに楽しみ、私のたましいも私の神にあって喜ぶ。」(イザヤ61:10)と語っています。神のしもべが、民とひとつとなり、救いの喜びを歌っているのです。主イエスによって救われ、主に連なる者とされた私たちは(ガラテヤ2:20)、主の喜びを自分の喜びとして、楽しむことができる幸いにあるのです。

私たちは、キリストとの共同相続人であり、主の祝福は私たちの祝福でもあります(ローマ8:17)。さらに、キリストの復活は私たちにも約束されていることです(Ⅰコリント15:20)。日々の生活には、様々な困難などがあるでしょう。しかし、「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りない」(ローマ8:18)ことでもあることを覚えて、主が導き共に歩んでくださる信仰生活を続けて行きましょう。

おわりに

主に贖われた者は、神の偉大な救いという祝福を頂いたのです。それまでの悲しみが喜びに、憂いが賛美に変えられたのです。ですから、私たちはどんな状況にあっても、主によって喜ぶことができるのです。喜びと感謝をもって、良き知らせである神の福音を宣べ伝えて行きましょう。

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