『生ける望みを持たせる御霊のうめき』
はじめに
今朝は、キリストによる罪と死からの解放宣言、勝利宣言とも言えるローマ人への手紙8章から、私たちに与えられている生ける望みについて見てまいりましょう。
1) 苦難をかすませる栄光に満ちた望み
私たちは、なにをもって、「わたしは/あなたはクリスチャンです」と言えるでしょうか。ローマ人への手紙8章で、パウロは、そのことにフォーカスしています。クリスチャンとは、「キリストの御霊を内に持つ者」です。この御霊によって私たちは「キリストのもの」とされ、「神の子ども」とされました(9、14)。この事は、神の恵みにより、主イエスを信じる信仰によって聖徒(クリスチャン)に与えられた特権です。
その上で、「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りない」とパウロは言い切ります。地上では確かに苦難がありますが、聖徒はキリストと共に御国の「共同相続者」(17)とされています。この生ける望みと共に、私たちは救われました(24)。御霊は、常に私たちの内にいて、苦難の中でも、主の愛と恵み、御心を悟らせることによって私たちを強め、望みに溢れさせて下さいます。
2) 三つの執り成し
ここで、私たちが知るべき「三つの執り成し」について示されています。被造物(自然界)のうめき(19-22)、聖徒のうめき(23-25)、そして御霊のうめき(26-27)です。
自然界を通して、人は、創造主である「神の永遠の力と神性」を認めることができますが(1:20)、一方で自然界は、人の罪と堕落の結果を今に至るまで被ってもいます。しかし、主イエス再臨の時には、自然界も「滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかる」のです。だからこそ、自然界は、その望みをもって、今は産みの苦しみとしてうめいている、とパウロは聖霊に導かれて語ります。
私たちもまた、主イエスが再臨され、復活の体が与えられる救いの完成の時を待ち望みつつ、「心の中でうめいて」います(23)。しかし、私たちは一人でうめくのではありません。驚くべきことに、御霊もまた、私たちの内で「ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる」(26)のです。
3) 御霊のうめき
「御霊も、弱い私たちを助けてくださいます」(26)。ここで、私たちの「弱さ」として特に強調されていることは、「何をどう祈ったら良いか分からない」という点です。私たちの歩みには、時として、祈りの言葉はおろか、涙と嘆息しか出て来ないような状況もままあるでしょう。しかしそれ以上に、そもそも、御霊の助け無しには、主の御心を自らの心として祈ることができない鈍さが私たちにはあります。
感謝なことに、内住の御霊は、私たちの心と思いを全てご存じです。その御霊が、本当に祈るべきこと、すなわち神の御心を、私たちの内にあって、ことばにならないうめきをもってとりなして下さる。その御霊の的確なとりなしに助けられて、私たちもまた、途方に暮れるような状況の中でも、祈りの中で取り扱われ、主に似る者として造り変えられ、主の愛の内を「圧倒的な勝利者」として歩み続けることができるのです。
おわりに
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(8:28)苦難もうめきも含め、主は、過去・現在・将来に渡り、聖徒にかかわる万事を益として下さいます。主を信頼し、今週も救いの恵みの内を御霊に導かれ、すべての人に生ける望みをもたらす福音の証し人として歩み続けましょう。