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『私たちは神のもの』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マルコ7:1-13

はじめに

本日は、主イエスの愛に応えて従うことによって与えられる真の自由について見てまいります。

Ⅰ.律法の本質は神の愛

律法学者やパリサイ人たちは、弟子たちの中に「昔の人たちの言い伝え」を守らず、洗っていない手で食事をしている者がいるのを見て、主を批判しました。彼らの批判は、衛生上のことではなく、律法の汚れを避けて神の前に身を清く保つということに端を発するものでした。主は、神の律法の本質を見失っていることをただそうとされました。

律法の本質とは二つです。一つは、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」二つ目は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」です(マルコ12:30-31)。そして、主は「この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです」(マタイ22:40)と教えられました。神の律法は、神の愛が基となっていて、私たちを縛りつけるものではなく、神の愛を教えるものであることを覚えましょう。

Ⅱ.神の前のきよさとは

主は、弟子たちに、「人間の言い伝えに従うべきではない」と教えていません(マルコ7:2)。この事については、律法の本質に関わる事ではなかったからです。律法学者たちやパリサイ派の人々が、人間の言い伝えに固執し、それに縛られていたのは、本当に信じて従うべき真の神を見失っていたからでした。 

神が求めておられる真の「きよさ」とは、手を洗うか否かということに表されるような外面的なことではありません。神の愛に応えて、真実に神を信頼して依り頼み、自分自身を神に委ねて従っていくことです。主は、「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)と語られました。「真理」とは、イエス・キリストです。私たちは、ますます真理である主を知る者とされましょう。

Ⅲ.神のものとされる

主イエスは、律法学者たちやパリサイ人たちの偽善を、「コルバン」という人間の言い伝えによって表されていることを示されました。「コルバン」とは、神への捧げものとして区別されたもののことで、これによって「父と母を敬え」という第五の戒めがないがしろにされていたのです。彼らの偽善の根本にあるものは、人の評価や自分の誉れを求める思いでした。これらの事から解放されて自由にされるためには、自分自身を神の前に「コルバン」とすることです。

父なる神は、私たちの救いのために御子をさえも惜しまず与えてくださいました(ローマ8:32)。この神の愛に応えるとき、私たちは主のものとして生かされるのです(詩篇100:3)。主の偉大な恵みを覚えて、自分自身を神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げる幸いな信仰の歩みを続けてまいりましょう(ローマ12:1)。

おわりに

父なる神は、私たちの救いのために御子イエスを十字架にかけてくださいました。これによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命を与えられ、神の愛に応えて生きる者とされました。その神の愛を頂いている者として、主に信頼して従い、それぞれに与えられた賜物を用いて、隣人に主イエスの愛を伝えて行きましょう。

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