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『わたしの心だ。きよくなれ』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マタイ8:1-4

はじめに

本日は、主の御心を求める者の幸いを見てまいります。

Ⅰ.罪人を招くために

主イエスが山上での説教を終えて、下りて来られた時、ツァラアトに冒された人が主のもとに来て、癒しを願いました。「ツァラアト」とは、重い皮膚病のようなもので、一般の人々からは隔離されるほどの病でした。主はその人に手を伸ばしてさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と、彼を癒されました。

このツァラアトの人の姿は、罪人である私たち一人一人の姿でもあります。神の御前に、全身罪という汚れた病におおわれたような私たちでしたが、主イエスはその様な私たちのもとに来てくださり、十字架の贖いによって清くしてくださったのです。主が来てくださったのは、「正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」(マタイ9:13)なのです。

Ⅱ.神の御心とは

ツァラアトに冒された人は、主イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言いました。彼は、主イエスを礼拝したのです。彼が語った「お心一つで」というのは、癒されてもそうでなくてもどちらでもよい、と言っているのではありません。主が癒しを為さるお方であることを信じて、その癒しは主の意志によることであり、あくまでも主の御心を求めたことゆえの言葉でした。

主は、「わたしの心だ。きよくなれ」と言って彼を癒されます。主の御心は、彼を縛っている病の力を打ち破って、彼を新しく生かすことでした。さらに、主なる神の御心は、ひとり子さえ与えるほどに私たち罪人を愛して、御子を信じる者が、一人として滅びることがないように、永遠のいのちを与えることです(ヨハネ3:16)。主の前に行くとき、私たちには様々な必要があることを主に呼び求めるでしょう。その様な時こそ、まず神の御心、すなわち神の国と神の義を求めようではありませんか。そうすれば、必要なものを主はそれに添えて与えてくださるのですから(マタイ6:33)。

Ⅲ.神の御心を求める幸い

多くの人々が主イエスに従っていましたが、まことの礼拝をし、その恵みに与ったのは人前にさえ出ることを許されなかったツァラアトに冒された人でした。彼は、主は御心のままに、その権威を用いるお方であると信じ、神の御心を第一に求めました。それゆえに、主の栄光を見させて頂いたのです。

このことは、今日の私たちへの励ましでもあります。主イエスの十字架の贖いによって、私たちは真の礼拝者とされました。私たちは、主の御言葉を聞くことができ、主イエスに従ってその後について歩む幸いを頂いています。この恵みを覚えて、ますます神の御心を教えて頂き、それに従って行きましょう。主イエスをそして主の御心を知ることにこそ救いがあり、癒しや慰めがあるのですから(ヨハネ17:3)。

おわりに

ツァラアトに冒された人は、主イエスを礼拝し、その御心が自分の身になるようにと求めました。主はその様な彼に手を差し伸べ、触れて下さり「わたしの心だ。きよくなれ」と語りかけ、癒して下さいました。私たちも、神の御心を求めて、最善のことを為して下さる主に信頼して歩み続けようではありませんか。

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