礼拝説教

礼拝メッセージ

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『伝えようイエスさま・届けよう神さまの愛』

説教:髙橋恵子師
聖書箇所 Ⅱ列王記5:1-5,9-14

はじめに

本日はファミリー礼拝です。Ⅱ列王記5章から「救いの希望を伝える」ことの幸いを見て参りましょう。

1)名もない少女の存在と証し

ナアマンはアラム王に信頼され、社会的地位も名声も富もある人物でしたが、不治の病ツァラアトに侵されていました。外側からは推し量ることのできない苦悩をナアマンも家族も抱えていたのですが、彼らの最も近くに置かれていたのが、ひとりの名もないイスラエル人の捕虜の少女でした。

この少女について聖書は多くを語っていません。しかし、はっきり言えることは、彼女は、イスラエルに生けるまことの神の預言者がいることを知っており、自分の信仰をナアマンの妻である女主人に率直に伝えた、ということです(5:3)。少女は、人の目には悲惨と思える経験を通ってきたはずですが、それにもかかわらず、ナアマンと家族の苦悩に対して、語るべき希望のメッセージを与えられていました。このこと自体が、信仰の驚くべき恵みです。神は、この少女の存在と、信仰による小さな証しを大きく用いて下さいました。

2)神の方法は、人の思いとは異なる

少女の証しにより、預言者エリシャに会いに行ったナアマンですが、その道のりは、平坦なものではありませんでした。最初、彼は、イスラエルの王宮で預言者に会えると思っていたようです。しかし、エリシャに会えるどころか、あわや北イスラエル-アラム間の外交問題勃発かというような危機的場面を通らされます(5:4-8)。決定的であったのは、エリシャの家に着いた時でした。預言者の態度と言葉が、自分の思い描いていたものとは異なっていたため、彼は憤慨し、自国に帰ろうとさえしたのです(5:11-12)。しかし、この一連の出来事の中に、ナアマンに真の救いを与えようとされる神の方法とお取り扱いを見ることができます。

人は誰も、自分の思い描く方法で神に近づくことはできません。神の思いと人の思いは異なるからです(イザヤ55:8-9)。人間的な体面やプライドという衣服を着込んだままでは、神の与える救いを頂くことはできないのです。聞いた神のみ言葉に従うことは、神の救いの祝福を受け取る唯一の方法です(ヤコブ1:21)。

3)造り変えられたナアマン

ヨルダン川の水自体に、ナアマンの病を癒す力があったのではありません。また、預言者エリシャに癒しの力があったのでもありません。預言者を通して語られた神のみ言葉に聞き従った時に、癒しの御業が成されました(5:14)。何よりすばらしいのは、ナアマン自体が、イスラエルの唯一まことの神を畏れ、礼拝する者へと変えられたことです。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」(5:15) 人がまことの神に出会い、造り変えられる事以上の奇蹟はありません。

私たちは今、預言者以上の救い主、御子イエス・キリストによって、父なる神の救いを得、永遠のいのちを頂く道が与えられています。主イエスを信じる時、聖霊が私たちの内に住み、神の愛といのちを注いで造り変えて下さるのです。

おわりに

ひとりの名もない少女の存在とその証しが、異国の将軍ナアマンに希望を与え、彼をまことの救いへと導くために大きく用いられました。私たちが証しし、伝えるべきお方は、私たちのために十字架にかかり、死なれ、よみがえられた救い主イエス・キリストです。このお方にこそ希望があり、「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」(Ⅰペテロ2:6)のです。ハレルヤ!

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