『神がここに遣わされた』
はじめに
本日は、全てのことが神の許しの中にあることを信じる幸いについてみてまいります。
Ⅰ.神の前に悔い改める
ヨセフが神により解き明かした夢は、現実となりました。七年間の大豊作の後の七年間の大飢饉は、エジプトとその周辺の地域にまで及びます。カナンにいるヨセフの父ヤコブは、エジプトにある穀物を買うために、息子たち(ヨセフの兄たち)を遣わします。
ヨセフは兄たちと会いますが、自分に気づいていない兄たちに対して、すぐに自分の身分を明かしませんでした。聖書はこのことを通して、神が、ご自分の恵みに与らせるために、兄たちを悔い改めへと導いていることを示しています。神の恵みと祝福は、神の前にへりくだって悔い改める者に与えられるからです(詩篇51:17、Ⅱコリント7:10)。
Ⅱ.試練と困難を通して砕かれる幸い
宰相ヨセフは、兄たちを試みます(創世記44:1-17)。これによって、兄たちは、約20年前の弟ヨセフに対する罪を思い返して、神の前でそれを真実に悔い改めます(創世記42:21)。その悔い改めは、ユダが父のために何とかしてベニヤミンを連れて帰ろうとする言葉に表れていました(創世記44:18-34)。
兄たちの言動の変化は、年月が経って分別がついたとか、時間と共に罪人が義しい人に成長したというものではありません。神は、試練や困難を通して、兄たちの頑なな心を砕き、ヨセフを通して現された神の恵みの御計画を悟ることができるようにして下さったのです。神はその救いの御計画のために、試練や困難を通しても、ご自身の救いの恵みを与えようとされていることを覚えましょう。
Ⅲ.全てのことは神の御手の中にある
ヨセフは、ユダが弟のベニヤミンの身代わりになるという言葉を聞いて、自分を制することができなくなり自分のことを明かします(創世記45:1)。これは、ヨセフが、自分に対する兄たちの罪の悔い改めに免じて、彼らを赦したということではありません。彼は、自分に起こった全てのことは、兄たちではなく神によることであるということを知ったのです(創世記45:5、7-8)。神が互いの間に居られることを知ったからこそ、ヨセフは兄たちと平和な関係を築くことができたのです(創世記45:14-15)。
私たちも、通らされる全てのことにおいて、神の支配と導きがあることを覚えましょう。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
結 び
ヨセフと兄たちの間に、交わりと平和が回復されました。神が全てのことの内に居られることを知ったからです。私たちを愛してやまない主イエスは、私たちがどんなところにあっても、私たちと常に共に居られることを覚え、主の栄光を表わして頂きましょう。