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『主の最後の晩餐』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ルカ22:14-30

はじめに

本日は「棕櫚の主日」で、受難週となります。主が十字架にかかる直前に、最後の晩餐で示された聖餐の幸いを見ます。

Ⅰ.聖餐式の始まり

主イエスは、十字架の前に、弟子たちと「過越の食事」(最後の晩餐)をされました(ルカ22:15)。過越祭は、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷となっていた時、過越の小羊の血によって奴隷から解放してくださった神に感謝し記念するものでした。主は、この食事でパンをご自分の体とし、杯をご自分の血として弟子たちに分け与えました。これは、過越の小羊のように、主の十字架の贖いによって、罪の奴隷となっている人々が解放され、救いを頂いて新しい命に生きる者とされることを示すものでした。

この最後の晩餐は、後の教会の礼拝において行われる聖餐の起源となりました。主は、「わたしを覚えて、これを行いなさい」(ルカ22:19)と全ての教会に命じられたのです。聖餐の恵みを受けることによって、主の十字架の救いに与っていることを実際に体験するのです。主の言葉に従って聖餐を行って来た教会は、主の再臨の時まで、これを行い続ける幸いを与えられているのです(ルカ22:16、18)。

Ⅱ.主のパンと杯

主イエスは、最後の晩餐でパンを分け与える時、「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです」と言われ、杯も同じようにして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」と語りました(ルカ22:19-20)。これは、主がご自身の体と命をもって、罪人を赦して贖ってくださることを意味しています。

私たちは、聖餐式でパンを食し、杯を飲むことで、主が与えてくださった救いを実際に体験するのです(ヨハネ6:51)。私たちは、主がご自身の命さえも私たちの救いのために捧げてくださった愛に応えるべきです。自分自身を神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げましょう(ローマ12:1)。

Ⅲ.聖餐式の恵みを覚えて

十字架を目前にして、主は弟子たちに聖餐を定め、その意義を教えられました。しかし、聖書はこの晩餐の中でも、弟子たちの罪や弱さがあったことを記しています(ルカ22:21-24)。主は、「食卓に着く人」と「給仕する者」との話しから、「わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています」と語られます(ルカ22:27)。

主イエスの仕える者の姿は、十字架に明確に表わされました。主は十字架でご自身の全てを捧げて、罪を赦し、神の民として新しく生きるようにしてくださったのです(ピリピ2:6-8)。罪や弱さのあった弟子たちでしたが、彼らは復活の主が出会ってくださったことで、主の証人として福音を宣べ伝えて行きました。私たちも、弟子たちの後に続き、聖餐式の度毎に神の国で主イエスの食事の席に共に着く日を待ち望みつつ、主と共に歩み、復活の主から救いを受けたことを証しして行きましょう。

結 び

主イエスは、私たちの救いのために、私たちと同じ人となってくださり、十字架の救いを成し遂げてくださいました。このことを覚えるために、聖餐を定めてくださいました。キリストの命に与った私たちは、主の十字架の贖いに感謝し、新しい契約の恵みに生かされていることを感謝し、主と共に歩み続けましょう。

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