礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2023年礼拝メッセージ

『抜き身の剣を持つ方』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ヨシュア5:1-15

はじめに

本日は、私たちのうちには、勝利者である主がおられるという幸いがあることについて見ます。

Ⅰ.イスラエルの子らに割礼を施せ

イスラエルの侵攻を見て、カナンの王や住民たちは戦意を喪失していました。この機に乗じて、一気に攻めるべきところですが、神は出エジプト後に荒野で生れた民に、「割礼」を行うことを命じます(ヨシュア5:1-2)。「割礼」は、神から与えられた神の民としての契約のしるしであり(創世記17:10)、神の民として神への献身を表すものです。神は、カナンの地での戦いの勝利は、神に献身し、全面的に神に信頼することによってこそ与えられるものであることを示されたのです。

この「割礼」は、今のバプテスマ(洗礼)を表わしていると言えます(コロサイ2:11-12)。洗礼は、これまでの罪の自分に死んで、キリストの命で新しく生きることです。主イエスは十字架において、この世に勝利してくださいました(ヨハネ16:33)。主イエスを信じる者は、神の勝利者とされていることを覚え、歩み続けましょう(Ⅰヨハネ5:5)。

Ⅱ.過越のいけにえを献げなさい

次に、神が民に命じたことは、「過越のいけにえを献げる」(過越の祭り)ことです(ヨシュア5:10-11)。過越の祭りは、かつてイスラエルの民がエジプトから脱出したことを記念するものでした。出エジプト以来の過越を行うことは、イスラエルにとっての荒野の旅の試練の終わりと、新しい約束の地の時代の訪れを表わしています(ヨシュア5:11)。

この「過越」は、今の聖餐式を表わすとも言えます。イスラエルの民が約束の地の産物に与る毎に、神の約束の確かさと恵みを覚えたように、今日の私たちも、主イエスの十字架の贖いの恵みを覚えるべきです。すなわち、私たちの罪のために身代わりとなって十字架で裂かれた主の体である命のパンを頂き、十字架で流された主の血潮によって、私たちは罪赦され、癒されていることの恵みを覚えるのです。主との正しい関係に生きることこそ、あらゆる課題に先立って私たちが祝福を受けるために行う第一の事柄であることを覚えましょう。

Ⅲ.抜き身の剣を手に持つ者

ヨシュアは、これから攻略しようとしているエリコの近くで、ひとりの人が「抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立って」いるのを見ます。彼は、その者に「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」と尋ねます。その者は、「わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」と答えます(ヨシュア5:13-14)。ヨシュアはこのことを通して、この戦いは神の戦いであり、神が戦いの将であると気づかされます。

今日の私たちも、様々な課題や困難を前にして戦いを覚えます。しかし、自分が主ではなくて、主ご自身が私たちの主導者なのです。主は、全てのことについて、「抜き身の剣を持って」準備を完了してくださっています。主イエスの十字架は、私たちへの勝利の約束のしるしです。復活の主を仰ぎ、主に全信頼を置きましょう。

結 び

私たちは、「すでに世に勝たれた」主イエスの十字架の贖いによる救いを頂きました。自分の思いに従うのではなく、「足の履き物を脱ぎ」、主に一切のことを明け渡しましょう。主は「抜き身の剣」をもって、私たちの先の勝利を用意してくださっているのですから。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分