『神が私たちの間におられる』
はじめに
本日は、神にある真の交わりの幸いについて見ます。
Ⅰ.信仰によって選び取る
神は、イスラエルの王サウルを王位から退けて、ダビデを次の王に選ばれました。王位に固執するサウルは、度重なるダビデの勝利を見て嫉妬し(Ⅰサムエル18:7)、息子のヨナタンや家臣たちに、ダビデを殺すように命じます(Ⅰサムエル19:1)。しかし、ヨナタンは、ダビデを愛し、彼を守ろうとしました。
ナタンは、サウル王の息子で王子です。サウルの王位を継承すべき第一人者であるヨナタンは、神がダビデを次の王として選ばれたことを受け入れて従い(Ⅰサムエル18:1)、ダビデの親友となって彼を助けたのです。ここに、神への信仰を選び取ったヨナタンの姿が表れています。私たちは、人の思いや考えを優先するのではなく、神の御心を教えて頂き、御言葉に従っていくことを第一としようではありませんか。ダビデは後に、ヨナタンと結んだ契約を(Ⅰサムエル20:15)、ことごとく成就したのです(Ⅱサムエル9章)。
Ⅱ.神が間におられる交わり
ダビデとヨナタンの信頼関係は、「主が私とあなたの間の永遠の証人です」(Ⅰサムエル20:23、42)という堅い結びつきです。それは、主が二人の間におられるので、結び合うことが不可能な状況においても、二人を結び合わせる力となっていたのです。
「主が間におられる」交わりは、この世のどんな事情も、身分や立場の違い、人間的な様々な対立なども超えて、二者の信頼関係を固く結ぶのです。さらには、ダビデとヨナタンのように、人間の思いにおける交わりが破れてしまうしかないところで、また共に歩むことができなくて別々に歩まなければならないようなところでこそ堅くされる交わりなのです。神が結び合わされたものは、だれも切り離すことはできないからです(ローマ8:35)。
「ただ、主に背いてはならない」十戒を与えられた神の契約の民としての強烈な自覚です。彼らは、シナイ山で語られた神の言葉を深く心に留めていました(出エジプト19:5)。神の「宝の民」とされた者の最大の関心事は、神を愛し、その御心に従うことです。御心に従う事を優先するなら、勝利は後からついてくる事を彼らは知っていました。
Ⅲ.キリストによって神が共におられる
ダビデとヨナタンとが取り交わした契約は、神が間におられるので、永遠に続く契約となりました(Ⅰサムエル20:42)。神は今も変わることがなく、今日の私たちの間にもおられて、聖徒の交わりを祝福してくださいます。
父なる神は、罪によって神との交わりを失ってしまっていた私たちの間に立つために、御子イエスをこの世に遣わしてくださいました。主イエスは、十字架の贖いによる死と復活を通して、罪による敵意という隔ての壁を取り壊して神との平和を与えてくださいました(エペソ2:14-16)。私たちは今、キリストを証しする聖霊が内に居られて、神との豊かな永遠の交わりに置かれています。このことを覚えて主に感謝し、主を中心とした交わりと一致の幸いの内に歩み続けましょう。
結 び
神が間におられる交わりは、なにものによっても壊されたり離されたりしません。むしろ、交わりが壊れてしまいそうなときにこそ、固く結ばれて行くものです。主イエスの十字架の贖いによって、聖霊が神と私たちとの間におられることを感謝しましょう。そして、より深く主の交わりに生かされ続けましょう。