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『受け取ろう、みことばのチカラ -ヨシュアとカレブの信仰-』

説教:髙橋恵子師
聖書箇所 民数記13:1-3,13:25-14:9

はじめに

本日はファミリー礼拝・子ども祝福式です。教会学校の今年度の標語は「受け取ろう、みことばのチカラ」です。み言葉の力を実際に受け取っていくために必要な事は何でしょうか。民数記から見て行きましょう。

①なぜ約束の地を偵察したのか

 指導者モーセに率いられたイスラエルの民は、神が与えると約束された「乳と蜜の流れる土地」カナンを目前にした時、その地に十二人の偵察隊を派遣しました。民数記には、神がこの偵察隊を送るように命じられた事が記されていますが(13:1,2)、申命記には、そもそも、約束の地を「探ろう」と言い出したのは、民であったことが記されています(申命記1:21-22)。

一見すると、約束の地を事前に探ることには何の問題もないように思われますが、その動機には、神と神の約束に信頼するよりも、自分の思いや判断を優先させようとする不信仰が潜んでいました。信仰と、信仰でないものは、時に人の目には見分けがつきません。ただ神だけが明らかにすることができます(ルカ12:1)。約束の地に偵察隊を送ることを許された神の命令は、民の中の信仰と不信仰を明らかにするための、神のお取り扱いでもありました。

②ヨシュアとカレブ: 神の約束にとどまる信仰

十二人の偵察隊は、皆、カナンで同じものを見聞きしたはずです。しかし、ヨシュアとカレブの二人と、他の十人の信仰姿勢は全く異なりました。二人の告白(14:7-9)から、み言葉にとどまり、み言葉の約束を通して目の前の現実を見る、信仰者の姿勢がうかがえます。

「もし主が私たちを喜んでおられるなら…私たちに下さる」約束の地を勝ち取れるか否かは、自分たちの能力や、目に見える現状にかかっているのではなく、神の御心にかかっている、という信仰告白です。

「ただ、主に背いてはならない」十戒を与えられた神の契約の民としての強烈な自覚です。彼らは、シナイ山で語られた神の言葉を深く心に留めていました(出エジプト19:5)。神の「宝の民」とされた者の最大の関心事は、神を愛し、その御心に従うことです。御心に従う事を優先するなら、勝利は後からついてくる事を彼らは知っていました。

「主が私たちと共におられる」「ネフィリム」のようなカナン人を見るのでも、また「バッタ」のような自分たちを見るのでもなく、力強い御手をもってエジプトから救い出して下さった、共におられる偉大な神を見続ける信仰です。

③「今日」という日にみ言葉に聞き従う幸い

み言葉を信じなかった民は、不信仰ゆえに、約束の地に入ることを許されず、40年間、荒野で生活することになりました。ヨシュアとカレブも、民と共に40年を過ごさなければならなかったのです。しかし、この忍耐の期間も、「人はパンだけで生きるのではなく、主の御口から出るすべてのことばで生きる」(申命記8:3)ことを体験的に学ぶ、信仰の訓練の場となりました。主は万事を益として下さいます。

パウロは、イスラエルの民の不信仰について、「これらのことが彼らに起こったのは…世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」と記しています(第一コリント10:11-12)。 主イエスは、「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです」(ルカ11:28)と語られました。私たちは心を頑なにするのではなく、私たちの救いのために御子をさえ与えて下さった父なる神の愛に心溶かされて、「今日」という日に御言葉に聞き、み言葉に従って生きる者とさせて頂きましょう(ヘブル3:12-14)。 み言葉にとどまる信仰によって、私たちが主イエスと共に受け継ぐのは、永遠のいのちと、天の御国なのですから!

結 び

私たちは、御言葉と聖霊の助けを頂いて、主イエスを「健全な目」で見つめて「明かり」を内に輝かせて頂きましょう。主イエスという「まことの光」をもって、私たちの隣人を照らし、暗闇の中にある人々に「まことの光」を証しして行きましょう。

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