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『失われた者を捜して救う神』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ルカ19:1-11

はじめに

本日は、一人一人の所に来てくださっている主イエスの愛と恵みを見てまいります。

Ⅰ.罪人を招いて悔い改めさせるために来られた主子

主イエスは、エリコの町でザアカイという人に会います。彼は、町中の人々からローマ帝国に与する売国奴として疎まれていました(ルカ19:1-3)。彼は、主が自分と同じ取税人たちを嫌ったり蔑んだりせずに迎え入れていることを聞いて、どのような人かを見たいと願いました(ルカ15:1-2)。

当時の宗教指導者たちは、取税人たちや罪人たちは、主の救いを頂くことのできない者として忌み嫌っていました。しかし、主は「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです」(ルカ5:32)と語られたように、全ての罪人を救いに招くために世に来られたのです。今も変わらない主は、だれであっても神の救いへと招いて下います。この招きに応えて、主の救いを頂きましょう(ローマ10:13)。

Ⅱ.真に心を満たしてくださる主子

ザアカイは、町の人々によって主を見ることを邪魔されます。それでも、彼は先の方に走って行き、「いちじく桑の木に登った」(ルカ19:4)のです。この行動には、単に主を見たいという興味以上に、彼自身も気がついていない心の奥底にある主の憐れみ、救いを求める思いがあったと考えられます。

神は人を、「ご自身のかたちとして創造」されました(創世記1:27)。それゆえに、人の心の中には神によってしか埋められない「心の空洞」があるのです(パスカルの言葉)。ザアカイは、取税人の頭という立場を用いて、この世のもので自分を満たそうとしていたでしょう。しかし、主イエスに出会ったとき、真に魂の空洞を満たしてくださるお方を見たのです。主は、「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)と約束しておられるのです。

Ⅲ.一人一人をご存じの主

主は、「いちじく桑の木に登った」ザアカイを見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19:5)と語りかけられます。ザアカイは、自分の名を呼ばれた時、主が自分のことを全て知った上で、自分を受け入れていることを感じ取り「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(ルカ19:6)のです。

主は、ザアカイが主を知る以前から彼を知って、彼を訪れ、出会って下さったのです。インマヌエルの主は、今も、私たちを覚えて、私たちのところに来てくださっています。主を迎え入れたザアカイは、これまでの人生で体験したことのない驚くべき喜びを知り、その喜びによって新しくされたのです。今も同様に、主が一人一人の名を呼んで、救いの喜びに招いておられます。「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎える」時、主の喜びが満ちあふれるのです。

結 び

主イエスは、私たち一人一人をご存じのうえで、救いへと招き、主と共に歩むことを喜ばれます。主をただ眺めているだけの木の上から急いで降りて来て、喜んで主イエスの招きに応えましょう。主が共に居られるところに、真の幸いと喜びがあるのです。

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