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『良い麦と毒麦』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マタイ13:24-30

はじめに

本日は、良い麦と毒麦のたとえから、一人をとても大切にされる神の御心を見てまいります。

Ⅰ.私たちは良い麦とされたもの

主イエスは、たとえ話しを用いて、「天の御国(神の支配)」のことを教えられました。主がおられるのにもかかわらず、神に反対し敵対するものがいることについて、良い麦と毒麦のたとえを用いて教えています(マタイ13:24-26)。

私たちは、罪のため、もともとは神に逆らい敵対する毒麦でしかない者でした。主なる神は、その毒麦である私たちを、ご自分の畑、ご自分のところに招いて下さいました。神は大いなる忍耐と慈しみをもって、私たちを良い麦へと変えてくださり、神に選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとしてくださったのです(Ⅰペテロ2:9)。神の民とされたことを感謝して、神の民として相応しく歩み続けましょう(エペソ5:8-9)。

Ⅱ.主は私たち一人一人を大切にされている

毒麦が蒔かれたのは敵の仕業だと知ったしもべたちは、毒麦を抜き集めようと主人に提案します(マタイ13:28)。彼らは、良い麦と毒麦が混在していてはいけないから、毒麦は早めに抜き取って、良い麦だけの畑にしようと考えたのです。主人は、「毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい」(マタイ13:29-30)と答えます。これは、収穫、すなわち世の終わりまで、人が良い麦と毒麦の区別をしてさばくべきではないことを教えています。さばきは、神がなさることであり、人の判断では良い麦も一緒に抜いてしまうことが起きてしまうからです。これは、主が、ご自分の畑に育つ麦の一本一本(私たち一人一人)を、とても大切にしておられるからです。神の愛は、主イエスの十字架に示されました。私たちの救いのために、ひとり子をさえも惜しまなかった神の御業をほめたたえ、これからも救われる人々が起こされることを覚えて、忍耐を持って主と共に歩み続けましょう。

Ⅲ.約束のいのちの冠を待ち望む

神は、ご自身の畑に、良い麦と毒麦(善と悪)が混在することを許しておられます。これは「収穫」、すなわち主イエスが再臨されるまでのことです。その時は、良い麦と毒麦が明らかにされてより分けられます。良い麦は実を豊に結んで収穫され、天の倉に納められ、毒麦は火に投げ込まれます(マタイ13:30)。

主は、「すべてのつまずきと不法を行う者たちを御国から取り集めて」さばく日が来ることを教えています(マタイ13:41)。私たちは、この約束を信じて、忍耐をもって、今の時を過ごすべきです。約束の成就まで、神の国の現れが隠れていたり、小さく見えていても、主の約束を信じて、主と共に信仰生活を歩み続けるのです。耐え抜いた人には、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠が与えられるのですから(ヤコブ1:12)。

結 び

神は、主の再臨の時まで、この世に良い麦と毒麦(善と悪)がが混在することを許しておられます。それは、毒麦と一緒に、誤って良い麦を抜いてしまわないためです。主は、良い麦の一本一本をとても大切にしておられるからです。主イエスは、一本の麦であるあなたを救い、守り導き続けてくださっていることを覚えましょう。

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