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『主に用いられる器』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 Ⅱテモテ2:20-26

はじめに

本日の聖書箇所から、神に用いられる者となるために必要なことを見てまいります。

Ⅰ.主に尊く用いられる働き人となるために

パウロは、テモテが主に尊く用いられる働き人となるために、自分自身をきよめ、聖なる者とされるようにと勧めます(Ⅱテモテ2:21)。ここで「聖なるもの」とは、主の救いを頂いて主に従って生き続け、「きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求める」者のことです(Ⅱテモテ2:22)。

私たちは、以前は神に不従順で迷っていた者であり、罪の奴隷でした。しかし、キリストの十字架の贖いによる恵みによって、聖なる国民とされ(Ⅰペテロ2:9)、御国を受け継ぐ者とされました(テトス3:3-7)。聖なる者とされた者として相応しく、神の召しに従って「真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くす」(Ⅱテモテ2:15)ことに励み続けましょう。

Ⅱ.義と信仰と愛と平和を追い求める

パウロは、神に用いられるきよい器になるために、「若い時の情欲」に代表される罪を避けるべきこと、そして「きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求める」ことを教えます(Ⅱテモテ2:22)。キリスト者は、決して一人で罪と戦っているのではなく、また一人で「義と信仰と愛と平和」を追い求めるのではありません。主イエスによって召し集められた者たち、すなわち教会を通して主が与えてくださる恵みと力によって、共に戦い、追い求めるのです。「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところ」(エペソ1:23)だからです。主にある兄弟姉妹として、共に祈り、励まし合いましょう。

Ⅲ.主イエスに倣って御心にかなった態度をとる

聖書は、クリスチャンが尊いことのために用いられるためにもう一つ必要なことを、「愚かで無知な議論」を避け、「すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導く」(Ⅱテモテ2:24-25)ことであると教えています。それは、反対する人たちを柔和に教え導くことによって、神がその様な人たちに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれないからです(Ⅱテモテ2:25)。さらに、「悪魔に捕らえられて思いのままにされている人々でも、目を覚まして、その罠を逃れるかもしれない」(Ⅱテモテ2:26)からです、

神は、「すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)ですから、私たちも忍耐し、神の報いを求めて、どんな人であっても神の御心にかなった態度をとるように努めようではありませんか。主イエスご自身、人としてこの世におられる時は、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげられました。父なる神は、その主イエスの敬虔のゆえに祈りを聞き入れられたのですから(ヘブル5:7)。

結 び

神に用いられる器は、主の前に「聖なる者」とされた者です。「聖なる者」とは、キリストを信じて、主に従って毎日を歩む者たちのことです。主の救いによって、聖なる器とされた私たちは、主に従い、主に呼び集められた者たちと共に「義と信仰と愛と平和を追い求め」続けましょう。

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