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『良い知らせを告げる者の足』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 イザヤ52:1-12

はじめに

本日は、私たちも主の福音を伝える者とされている幸いをみてまいります。

Ⅰ.神の恵みによる救い

「さめよ。さめよ。」主は預言者イザヤを通して、イスラエルの民に、捕囚から解放され、失われたすべてのものが回復されることを見なさい、と告げます(イザヤ52:1-2)。捕囚の民が解放されたのは、人間的な力や能力に拠るのではなく、ただ神の一方的な恵みに拠ることでした。

私たちも、神の一方的な恵みによって救いを頂きました。以前は、罪の奴隷であった私たちは、御子イエスの十字架の贖いによって罪を赦され救われたのです。そればかりではなく、神の子とされたのです。主の救いを受けて自由な者とされたのですから、以前の罪の奴隷のようにではなく、神の救いに目を開かれた者としてふさわしく歩ませていただきましょう(エペソ4:1)。

Ⅱ.良い知らせを伝える者の足

イスラエルの民が捕囚から解放されることによって、民はもちろん異邦人もイスラエルの神は生きておられる真の神であるということを知るようになります(イザヤ52:5-7)。神は、選びの民を通して、ご自身の栄光の御業を現されるのです。神は、その栄光を現す者たちのことを、「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。」(イザヤ52:7)と呼んでくださるのです。

当時、「足」は体の部分で、一番汚れやすい部位とされていました。しかし、主の良い知らせを伝えるとき「美しい」とされるのです。私たちがどんなに罪深いものであったとしても、主イエスの救いを頂いて、主と共に歩むとき、主の救いを伝える者として、神の前に「りっぱです」とされるのです(ローマ10:15)。クリスチャンの存在自体が、キリストを証ししていることを覚えましょう。

Ⅲ.主は前になり、しんがりとなって導かれる

主は、その一方的な恵みによって救ったイスラエルに、「去れよ。去れよ。そこを出よ。」とバビロンから出るように命じます。主が前になり、しんがりとなって導かれるのだから、慌てるな、逃げるように出て行くなと語ってくださいます(イザヤ52:11-12)。

全てのキリスト者は、主イエスの十字架の贖いによって、罪の奴隷となっていた「バビロン」から脱出させて頂いたのです。私たちは主の十字架によって美しい義の衣を着せられ、主の良い知らせを伝える足とされたのです。主が前になり、しんがりとなって共に歩んでくださるのですから、私たちは「バビロン」に逆戻りすることなく、慌てず、着実に、神が与えてくださる義の栄冠を目指して救いの達成のため歩み続けましょう(Ⅱテモテ4:8)。

結 び

神の一方的な恵みによって、イスラエルは救いと、その足には平和の良い知らせの備えをはかせていただきました。私たちは主イエスの十字架の贖いによって、救いをいただき、キリストの証人とされました。この素晴らしい主の福音に生かされている者として、主を宣べ伝えて行きましょう。

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