『神の御国を目指す』
はじめに
前回に引き続き、信仰のレースを走り続ける目的と幸いをみてまいります。
Ⅰ.生ける神の都、天にあるエルサレム
聖書は、私たちが信仰のレースを走り抜くために、そのゴールである天の御国について教えています。イスラエルが約束の地を目指したとき、ひとつのゴールはシナイ山でした。神はそこで、民を神の民として選び契約を結ばれました。しかし、神の聖さのため、民はもちろんモーセでさえも「私は恐れて、震える」と言うほどでした(ヘブル12:20-21)。
今、キリスト者、すなわち御子イエスの十字架の贖いによって救いに与った者たちに用意されているゴールは、シナイにある山ではなく、シオンにある山、地上のエルサレムではなく、天にあるエルサレムです。そこでは、生ける神、主イエスと顔と顔とを合わせてお会いするのです。主が用意してくださっている「生ける神の都、天にあるエルサレム」を目指して、なおも信仰のレースを走り続けましょう。
Ⅱ.神の言葉に堅く立つ幸い
聖書は、主イエスを信じる者に、神の御国の民とされた幸いゆえに、神の民としての自覚と責任を持つようにと励ましています。それは、神の御言葉に聞き従うことによって果たし得ることです(ヘブル12:25)。
出エジプトをしたその時の民の中で、約束の地に入ったのは二人だけでした。それは、民が荒野を旅する中で、モーセを通して語られる神の言葉を聞いたにもかかわらず、それに従わず、繰り返しつぶやき、不平不満を言って神に逆らったからでした(民32:11-13)。私たちには、様々な重荷やからみつく罪によって、御言葉の力と真実を疑わせるものが襲ってきます。しかし、今は恵みの時、救いの時です(Ⅱコリント6:2)。「きょう」と言われている間に、神の御言葉に堅く立って、救いの確信を終わりまでしっかり持たせて頂きましょう。「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」(ヘブル3:14)。
Ⅲ.揺り動かされることのないもの
ヘブル書の著者は、「私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。」(ヘブル12:28)と語ります。
主イエスは、すべてのものが揺り動かされ、崩れ落ちる日が来ることを語られました(マタイ24:37-39)。しかし、クリスチャンは、決して揺り動かされることのない神の国に入れられ、キリストと共に御国の相続人とされています。さらには、今まさに神の恵みであるゴール、神の御国に近づいているのです。主イエスは、やがてそこから私たちを迎えに来られます。主イエスの約束の御言葉を堅く信じて、揺り動かされることのない約束の御国を目指し、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」(ヘブル12:2)主イエスと共に走り続け、主の働き人として仕えてまいりましょう。
結 び
私たちキリスト者は、苦難や試練があっても、信仰のレースを走り続けるのです。それは、主イエスと顔と顔とを合わせて、また先に凱旋した信仰の先輩たちと神の御国で会えるというゴールがあるからです。御国のゴールへと導いてくださる主イエスを見上げて、信仰生活というレースを走り続けましょう。