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『イエスから目を離さないで』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ヘブル12:1-3

はじめに

主の御年、2022年、あけましておめでとうございます。新年の最初、主イエスから目を離さない信仰生活を歩む幸いについて見てまいります。

Ⅰ.いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てる

ヘブル書の著者は、私たちの信仰生活を競技にたとえて、最後まで走り抜くようにと励まします。その第一は、「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて」とあるように、身軽になることです(ヘブル12:1)。

信仰という競技で、重荷や障害となるものは、具体的には、神よりも優先してしまうことや神の御心に反すること、また信仰から出ていないことなどを挙げることができます。私たちの周囲には、私たちを神から引き離そうとする様々な悪しきものがあります。主が備えてくださる神の武具を用い(エペソ6:12-19)、御言葉によって心を守るとき(箴言4:23)、最も身軽になり、信仰の競技を走り抜くことができるのです。

Ⅱ.イエスから目を離さないで

信仰の歩みを走り抜くための第二のことは、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)ということです。競技者が到達すべきゴールを目指して、ひたすらに走るように、主の聖徒は、神が用意してくださる賞与を目指して走るのです(Ⅱテモテ4:7-8)。

主イエスは「信仰の完成者」(信仰のゴール)だけではなく、「信仰の創始者」(信仰のスタート)でもあります。「創始者」という言葉には、「指導者」という意味もあり、主イエスは私たちに救いを与えてくださった方であると同時に、完成に向かって指導し、導いてくださるお方です。主イエスを見続けている限り、主は私たちを最終ゴールへと到達する歩みと導いてくださります。主イエスを、常に仰ぎ見て信仰生活を歩み続けましょう。

Ⅲ.神が与えてくださる喜びのゆえに

私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために、第三のこととして、主イエスのことを思い続けるべき事を教えています。主は、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍ばれ」、それゆえに「神の御座の右に着座されました」。

主イエスが十字架上にあって「自分の前に置かれた喜び」として見ていたのは、私たちを含めたすべての聖徒たちの姿ということができます。全ての聖徒たちが、主と共に歩み続け、永遠に神と共に生きる姿です。私たちも主が「喜び」とされたものを、信仰の目をもって見続けるべきです。それを待ち望んで歩むとき、どんなに苦しくても、困難があっても、そこには必ず言葉に尽くせない喜びが待っているのです(Ⅰペテロ1:8)。今年も、主が与えてくださる永遠の「完成」を目指して、日々に与えてくださる「喜び」に感謝して、主が私たちに先だって歩まれた歩みに倣って進んで行きましょう。

結 び

私たちの信仰生活は、永遠の御国を目指す競技者のようなものです。それは、一人ではなく信仰の先輩たちや仲間がいる、そして何よりも主イエスが伴走してくださるレースです。信仰の創始者であり完成者である主イエスを、一心に見上げて、今年も信仰生活を歩み続けましょう。

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