『一方的な恵み』
はじめに
本日のダビデとメフィボシェテの関係から、私たちに対する神の愛と恵みの偉大さを見てまいります。
Ⅰ.幼子のように神の国を受け入れる
ダビデ王は、亡き親友ヨナタンと結んだ契約のゆえに(Ⅰサムエル20:12-17)、サウル家の者でまだ生き残っている人に「恵みを施したい」と言います。彼は、ヨナタンの子メフィボシェテを探し出し、恵みを施しました。
ダビデとヨナタンの関係は、神が示された誠実さが土台となっていました。ダビデは、人間的にではなく、神が自分にしてくださったように、真実を尽くそうとしたのです。私たちは、主イエスの十字架による贖いという「神の恵み」である救いを頂きました。私たちもダビデのように、神から頂いた救いという恵みを覚えて、人々に福音を伝えようではありませんか。
Ⅱ.神の恵みをへりくだって受ける
当時は新しい王が誕生した時には、それまでの王家は根絶やしにされることが当たり前でした。しかし、ダビデがメフィボシェテに与えた恵みは、命を守るということに加えて、先祖の土地が返され、そして王の食卓で食事をすることまで許されるものでした(Ⅱサムエル9:7)。メフィボシェテは、「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」と言って、王からの恵みを受け取りました(Ⅱサムエル9:8)。
ダビデ自身も、神から契約を結んでいただいたとき、「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」とその恵みに驚き、感謝をささげました(Ⅱサムエル7:18)。主の恵みに対して、私たちは何をもってしても返すことはできませんが、その恵みを受けることで、恵みに応えることができるのです。メフィボシェテの様に、へりくだって主の救いの恵みを受け取りましょう。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ18:14)。
Ⅲ.メフィボシェテに与えられた以上の神の恵み
ダビデ王がメフィボシェテに恵みを与えたことは、キリストと私たちの関係のひな形ということができます。メフィボシェテは、死を覚悟していたのに、一方的に恵みを受けました(エペソ2:5)。「死んだ犬」のようになって(エペソ2:1)、王のいるエルサレムから遠く離れていたのに、王の近くに呼び寄せられました(エペソ2:13)。さらに、祖父の地を受け継ぐようにされ(エペソ1:14)、王の食卓に座る者とされて(エペソ2:6)、ダビデの息子のようにいつも共に食事をする者とされました(エペソ1:5)。
私たちは、主イエスの十字架によって、罪を赦され、神の子とされ、永遠の命を与えられ、御国を相続する者とされました。これらは、神からの計り知れない大いなる恵みです。私たちは今、主イエスの十字架の贖いによって、メフィボシェテを遥かに超える神の恵みを受けたのです。この恵みに満たされていることを感謝して、なおもこの救いの恵みであるキリストを宣べ伝えましょう。
結 び
ダビデとメフィボシェテの関係は、神と私たちの関係のひな型と言えます。父なる神は御子イエスとの契約のゆえに、私たちに憐れみを施されました。約束を必ず成就してくださる神に信頼し、恵みを豊かに与えてくださる主と共に歩み続けましょう。